脱貧困ブログ

ひきこもり、ニート、うつ病、障害者、ネットカフェ難民、ホームレス、パワハラ、貧困状態の人を助ける情報を発信して行きます

セックスや恋愛を承認のために使うということは、それってそもそも他者への愛じゃないし、性欲ですらないのか?!

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by:JLStricklin

皆さんなら、タイトルの質問にどんなふうに答えます?

様々な答えがあると思います。

たとえば、こんな答え。

 

「どんな綺麗ごとを並べても、恋愛、セックスはそもそも承認を満たすためのものでしょ?!」

うん、うん、解ります。

あるいは、30代、40代のそれなりにいろいろ経験した人達は、こんな答え方をするかもしれない。

「お互いに承認している感覚、自覚があるか、ないか?が重要じゃないかなぁ?どちらかが一方的に承認欲求を満たしている状態は、暴力的だと思う。

そういうガキっぽい恋愛、セックスは20代の若い頃だけでいいっしょ!」

うん、うん、大人の意見で素敵ですね。

 

僕は、答えは様々あっていいと思うんです。ただ、タイトルに書いた質問って、あなたや僕が異性(別に異性じゃなくても、同性でもいい)と向き合って行くうえで、つねに自分に問い質したほうがいい質問じゃないか、と思うんですよ。

もしかしたら、タイトルの質問を見て、「えっ?承認を満たさないで、楽しめるコミュニケーション、恋愛、セックスってあるの?」と、始めて疑問に思った人がいるかもしれませんね。

そんなふうに疑問に思う事自体に意味があります。

この記事を読んでいるのも何かのご縁です。

ぜひ、あなたなりの答えをこの記事を読みながら考えてみて♪

 

承認欲求と貧困問題

そもそも貧困問題解決を考える当ブログが何で恋愛、セックスを語るの?関係あるの?、と疑問に思った人がいるかもしれません。

お答えしましょう。大ありです!

男でも女でも、仕事や恋愛で疲れた時、湧き上がって来る想いは以下の感情じゃないでしょうか?

「あぁ~、誰か一人でもいい!、自分の事をちゃんと承認してくれる人、解ってくれる人はいないの?そういう人が一人でもいてくれれば、私は他のすべてのモノを捨ててもいいよ!」

こんなふうに思った事はありませんか?

もちろん、実際には残酷な現実に直面して、「そんな人なんているわけないよねぇ・・・」と、日常の生活に引き戻されるわけですが・・・

まぁ、要するに、誰かに承認されているという実感が人の生きる力になって、その想いが自分を貧困に落とさないための抑止力になると考えているんですよ

たとえば、仕事が辛くなって辞めたくなった時、人間関係で嫌な事があって、ヤケになってしまいそうな時、自分を承認してくれる人が一人でもいればこんなふうに自分で自分に声をかける事ができる。

「でも、ここでヤケになったら、自分を承認してくれているあの人が悲しむぞぉ!しっかりしろ!」

だからこそ、僕ら、私たちはこの世で一番、承認や居場所を実感できるセックスや恋愛を真面目に考えてみる必要があるんです

どうですか?納得した?強引?(笑)

 

テクニックを超えて行きたい!

今、「うわぁ~、俺(私)には、承認してくれる人なんていないよぉ~、悲しすぎる!」と、叫び出したくなっている人が大勢いるような気がします

でもね、ここで、「心配するな、あなたが承認欲求を満たすために、素敵な恋愛、セックスが出来るようになるための方法を伝授します」とは言いません(笑)

 

この展開で、そのまま「恋愛テクニック」を教えるパターンって、たくさんありますよね。

たとえば、LOVE理論、恋愛工学だったり、いろいろある。

LOVE理論

LOVE理論

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

 でも、今日は一歩進んで、そういうテクニックだったり、見た目の事だけに意識して得た「承認」って、最終的にむなしくなるだけなんじゃないの?っていう事について考えたいんです。

もっと言うと、相手を思いやるテクニック(技術)は必要だけど、形だけのテクニック(技術)に、いかにとらわれないでいられるか?という事を考えたいと思うんですよ

そもそも、タイトルにある質問がそういうテクニックを超えたものですもんね

 

人を支配することは楽しくない!

ここまで書いて、必ず、「うわぁ~、このオジサン無理してる!イタイ!」とか「きっと、モテないから、テクニックじゃないという事を言い訳にして逃げてるんだなぁ」と、思った人もいるでしょう。

それは、半分、正解(笑)。でも、半分は不正解です

 

なぜ、半分は不正解と自信を持って言えるのか?!

それは、テクニックって、結局、相手を支配するだけのものである事に気がついちゃったからなんですよ

それは、僕が20代の頃に経験したある出来事が気づかせてくれました。

 

僕、20代の頃、女性といい雰囲気になって、何回かセックスするチャンスがあったんです。

でも、実はちゃんとセックスした経験よりも、勃たなかった経験のほうが多いんですよ

「おまえは、突然、何を言い出すんだ?!」と、思ったかもしれません(笑)

が、大事なところなので、しばらくお付き合いください。

で、「何であの時、勃たなかったんだろう?」って、34歳になった今になって改めて考えてみたんですね

考えてみた結果、出て来た答えは、「自分の攻撃性、支配的な感覚に気がついてしまって、自己嫌悪になってしまった。だから勃たなかったんじゃないか?!」というものだったんです。

 

これも、ちょっと説明させてください。

僕ら、男って、なにで性教育されるか?って言うと、AVだったり、エロ動画ですよね?

思い出してみてください。AVやエロ動画のストーリーって、だいたい、女性を支配したり、攻撃したりするパターンが多いでしょ?

だから、知らないうちに僕ら男の思考回路の中に、セックス=女性を支配すること、攻撃すること、という価値観が出来てしまったんじゃないか?と思うんです

そして、20代の頃の僕が勃たなかった理由は、そんな「女性を攻撃したり、支配したりしないと興奮できない自分が嫌になっちゃった」からだと思うんですよ。

これは、20代の頃じゃ解らないんです、単純に「勃たない俺は、男としてダメだ」と、落ち込んでいたので。

でも、そうじゃなくて、女性を支配したり、攻撃したりするセックスをしたくなかった。

だから、身体が反応して、不能になったんじゃないか?と推測するんですよ

頭では攻撃的、支配的だと思っていても、身体は別の反応をする。

こういう時は、頭よりも身体、五感の反応を信じたほうがいいんですよ

 

質問をもう一度、考える!

ここで、もう一度、タイトルにある質問を考えてみましょう。

セックスや恋愛を承認のために使うということは、それってそもそも他者への愛じゃないし、性欲ですらないのか?!

 

う~ん、この質問がテーマが大きすぎて簡単に答えられませんね。

でも、今のところ言えるのは、僕が20代の頃に経験した事を考えると、セックスや恋愛を承認のために使うと、身体が先に嫌がるということ

少なくとも、僕はそうだった。

いろいろ考えたけど、結局、答えらしい答えは出なかったように感じます。

なんか、まとまりの無い文章になってしまいました。

でも、30代、40代、50代になっても、タイトルの質問を考え続ける事によって、自分の中にほど良い節操が生まれる気がするんですよね。

ちなみに、タイトルの質問は、「日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない」という本の中で出て来た言葉です

僕らが考えたほうがいいテーマなので、ぜひ読んでみて♪

共に、究極の質問を考え続けようではないか?!

注目するべき社会問題は、生活保護基準が低すぎる事だと思うたった一つの理由

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7月10日(日)の選挙が近づいて来ました

皆さんは、もうどこに投票するか決めましたか?

 

「実はまだ迷っているんだよねぇ~」と、言う人もきっといる事でしょう。

では、なぜ迷ってしまうのか?それは、各党、各候補者がみんな似たような政策を言っているからですよね(笑)

 

たさくんある政策すべてに目を通して、判断して行くのは大変です。

そこで、私から提案があります。

自分の日常生活にある身近な問題一つに、目を向けてみてはいかがでしょうか?

全部が無理なら一つだけでいい。

その問題一つを解決してくれそうな政策に注目してみるんです

 

たとえば、この記事を読んでいる人が学生さんなら、奨学金の問題。

「大学を卒業したと同時に借金を背負うのって、あり得なくない?!」という不満を持っている人も多いはず。

だったら、学生、若者の将来、未来に各候補者がどんなビジョンを描いているか?に注目してみればいいんですよ

 

また、この記事を読んでいる人がサラリーマン、OLさんだったら、ブラック企業問題に注目してみるのもいいのではないでしょうか。

「こんなに働いているのに、給料少なすぎないか?!」

「毎日、上司に虐められて、パワハラに合っている、さすがに限界だ」

「同僚の男にセクハラされている。怖くて、辞めてくれ、と言えないでいる」

 

パワハラ、セクハラ、モラハラの問題。そして、ブラック企業問題。

これらの問題を候補者達がどう考えているのか?をチェックしてみればいいんです

 

まだまだありますよ。年金だけでは食べていけない高齢者の問題。子供の6人に1人は貧困状態であることの問題。数え上げれば切がない。

 

ここで、私の最も注目している身近な問題を発表しましょう。

貧困問題、中でも生活保護基準が低すぎる、という問題です。

なぜ生活保護基準の低さが僕の身近な問題なのか?ちょっと語らせてください。

 

生活保護基準が人の命を左右する

最後のセーフティネットと言われる生活保護

しかし、今、生活保護はとても使いにくい制度になってしまっています。

その原因は、生活保護基準が低すぎる事にあるんです。

生活保護基準は日本国内で「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な最低ラインを示す、という機能を持っています

どういう事か説明するために、まずはNPO自立生活サポートセンター・もやい理事の稲葉剛さんが書いた生活保護から考える」を引用したいと思います。

生活保護から考える (岩波新書)

生活保護から考える (岩波新書)

 

 

もやいの事務所には、年間1000人近くの方が生活の相談に訪れます。

相談者の年齢層は、下は10代から上は80代までであり、私たちは一人ひとりの方の生活状況を聞き取り、必要に応じて生活保護などの公的サービスの申請支援を行っています。

特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい | もやいは、 自立をめざす生活困窮者の 新たな生活の再出発を お手伝いします。

 

こうした相談活動の中で私達が一番対応に苦慮するのは、生活保護がギリギリに受けられない低年金の高齢者の相談です

(中略)春に相談にやって来た杉山典子さん(仮名、70歳)は、月10万円の年金をやりくりしながら、東京都内の老朽化したアパートで一人暮らしをしていました。

アパートは築50年以上が経過しており、家賃は月2万円。大家は老朽化したアパートを取り壊す意向を持っており、杉山さん以外の入居者はすでに退去。彼女自身も早く出て行ってほしいと言われている状態でした。

 

ところが、杉山さんは日々の暮らしを営むのにギリギリの年金額で生活しており、家族からの援助も見込めないため、引っ越しをするにもお金がありません。

(中略)私が考えたのは、生活保護を申請する事でした。

この点は誤解している方も多いのですが、預貯金などの資産がなく、収入が生活保護基準を下回っていれば、年金生活者でも生活保護を利用する事が出来ます。

 

(中略)生活保護基準は日本国内で「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な最低ラインを示す、という機能を持っています。

(中略)生活保護の基準は年齢、世帯の人数、地域によって変化するため、私は計算ソフトを使って計算してみました。

その結果、東京都内における70代単身者の生活保護基準(2012年)は、生活扶助が7万5770円。家賃は実費分しか出ないので、家賃2万円の場合、最低生活費は9万5770円となることがわかりました。

 

(中略)結局、月10万円の年金収入がある杉山さんは、収入オーバーで生活保護適応外になってしまう事が判明しました。

(中略)生活保護基準がさらに下がれば、彼女のような低年金の高齢者が「ギリギリで生活保護基準を上回る」とされて、生活保護制度から除外されてしまうケースが増えてしまいます。

同様の問題は、働いていても生活保護以下の収入しないワーキングプア層についても起こります。

 

さぁ、読んでみて、どうだったでしょうか?

きっと、「ええ!、生活保護って、そんなちょっとのオーバーで使えなくなっちゃうの?!ケチすぎるだろう!」と、思った方もいるでしょう。

僕も引用の文章を最初に読んだ時、同じように思いました。

また、同時に、「杉山さんは気の毒に思うけど、しょうがないよ、諦めるしかないんだよ」と、感じた若い読者の方がいるかもしれません。

しかし、本当にそうでしょうか?

 

引用の文章の最後にはこう書いてあります。

同様の問題は、働いていても生活保護以下の収入しかないワーキングプア層についても起こります

高齢者だけの問題ではないんです!

 

低収入でも生活保護が利用できない僕の仲間達

僕は30代で年収250万円代のフリーライター&ブロガーです。

そのため、お金持ちでリア充感100%の人達とは話しが合わないので、自然に周囲に集まって来る仲間は貧乏人が多いんですよ。

最近、女友達が経営している安いBARで飲んでいると、聞こえて来るのが引用文章で出て来たような生活保護基準をギリギリ上回る収入を得ているために、生活保護を利用できない事に対する嘆きの声です。

 

ギリギリ上回るというのがポイントですね

みんな月13万円とか14万円の月収で、本当にギリギリの生活をしているんですよ。

怠けているわけではありません。

全力で働きたくても働けない状態にあるわけです。

また、ウツや発達障害で悩む人達は、家族関係が悪く、家族に頼れない場合が多い。

頼りになるのは、出会ってきた仲間達だけなんです。

でも、生活保護基準をギリギリ上回っているため、生活保護を使えない。

 

そんな事を考えてみると、まさに、僕にとって、生活保護基準が低すぎる問題は、他人事ではないんですよ。

さぁ、どうだったでしょうか?ぜひ、皆さんも、自分の身近な問題を考えてみてください。

そして、選挙に行ってほしい。なぜなら、選挙に行って、一票をいれる事は、あなただけではなく、あなたと同じ事で苦しむ仲間達を助ける事になるからです。

共に仲間達を助けて行こうではないか?!

貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想です!道徳感は役に立たない!

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@Tuncay

東洋経済オンラインで連載されているルポライター・鈴木大介さんの記事を読みました。 

toyokeizai.net

ちょっと長い記事ですが、僕らが今後、生きて行くうえで考えなければいけない問題提起が書かれているので、ぜひ読んでみてください。

さて、僕がこの記事を読んでみて思ったシンプルな感想は、以下の二つです。

「貧困問題を道徳感で語らないほうがいい!」

「貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想である」

この二つです。

 

「んっ?どうして道徳感じゃダメなの?何でかわいそうと思っちゃダメなの?貧困状態の人達は、苦しい想いをしているかわいそうな人達なんだから、道徳感で判断するのは正しいでしょ?」

もしかしたら、この記事を読んでいる方達は、こんなふうに思ったかもしれません。

 

でもね、それは危険な発想なんです。

今日は、鈴木さんが書いた記事を引用しながら、「なぜ、貧困問題を道徳感で語らないほうがいいのか?!」、「なぜ、貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想なのか?」を皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 

加害者の像を持つ貧困当事者

ルポライター・鈴木さんは、記事内でこんなふうに言っています。

貧困者とはそもそも「見るからにかわいそうで助けたくなるような人々ではなく」、その真の像が見えてくるまでに長い取材と記者と取材対象者との人間関係の構築が必要だ

 

きっと、この文を読んで、「見るからにかわいそうで助けたくなるような人々ではない」とは、どういう事なんだろう?と思った人もいるでしょう。

それについても、鈴木さんは説明しています。

 

当事者の中には社会や対人関係の中で濃厚な「加害者の像」を持つ者も少なくない。

「なんとか力になりたいんです」とアプローチした結果が、夜中にLINE100本とか、それで突き放したら「だましたな呪い殺してやる」の呪詛に転じたり、ふと気づいたら財布を持ってドロンだとかといったことは、貧困者支援の現場ではよくあること

 

貧困者支援の現場ではよくあること、という鈴木さんの言葉を聞いて、驚いた方もいる事でしょう。

しかし、事実です。僕も何度か貧困当事者を支援するNPO団体のボランティアとしてお手伝いをさせて頂いた事があります。が、そこで、当事者の方に逆ギレされたり、怒鳴られたりする体験を味わいました。

はっきり言って、正義感が強い人、道徳感が強い人は、鈴木さんが言うところの貧困当事者が持つ「加害者の像」を目の当たりにするとすぐに支援団体のボランティアを辞めてしまいます。

これはもう、驚くほどあっさり辞めちゃうんです。

なぜ、強い志を持って、正義感、道徳感を持った人達ほど、すぐにボランティアを辞めてしうのか?皆さん、解ります?

それは、正義感、道徳感を強く持った人達には、貧困当事者に対する確立されたイメージが出来あがっているからです。

そのイメージとは、こんな感じ。

 

二十歳の可愛いらしい女の子Aさん

Aさんはいい人なんだけど、生まれながらにある発達障害などの影響で、仕事が遅く、人間関係は上手くいかない。家族関係も悪い。

さらに、いい人が災いになって、多くの人から利用され騙され、心身ともにボロボロになっている。

それでも、いつもニコニコ愚痴を言わずに、キャバクラや風俗などをかけ持ちして働いている。

 

どうでしょうか?いい人なんだけど、というのがポイントです。

上に書いた可愛らしい女の子Aさんなら、皆さん、助けたいと思うでしょ?

「どうして、そんないい子がこんなひどい目に合わなければいけないんだぁ!」と、憤りを感じた事でしょう。

しかし、次に紹介する女の子ならどうでしょうか?

 

二十歳のブサイクで肥満体型な女の子Bさん

Bさんは生まれながらにある発達障害などが原因で、仕事が遅く、人間関係が上手く行かない。家族関係も悪い。

いつも愚痴ばかり言って、周囲の人達の悪口ばかり言っている。

時に、気の弱い友達を虐めたり、パシりにしたりして、ストレス解消している。

風俗で働いていたが、遅刻が多いためクビになり、今は路上で身体を売っている。

 

さぁ、どうでしょうか?

前に紹介した可愛らしい女の子Aさんと同じように助けたいと思いましたか?

きっと、「気の毒にとは思うけど、何でそんな人を助けなきゃいけないの?正直言うと、Bさん、ムカつく!」と、感じたと思います。

このポイントが、僕が「貧困問題を道徳感で語らないほうがいい!」と思う理由なんです。

 

道徳感は人を選別する

道徳感で貧困問題を語ると、Aさんはかわいそうだから助けるけど、Bさんはムカつくから知らないという事になってしまうんですよ

なぜなら、Bさんは道徳感から大きく外れる存在だからです

要するに、Bさんは気の毒だと思うけど、ムカつくからかわいそうじゃない存在なんですよね。

でも、それだと、この国の貧困問題を解決する道は永遠にみつからない。当然のことですね。

みんな、Aさんのような人ばかり注目するんだから。

 

とてもじゃないけど、かわいそうとは思えない貧困当事者がいる。

でも、本当に貧困問題をどうにかしたい思うなら、Aさんのような人だけじゃなく、Bさんのような人にも注目しなければいけないんです

僕が、「貧困問題を道徳感で語らないほうがいい!」、「貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想である」と訴えるのは、そんな理由があるからなんですよ!

かわいそうだから助けるは、逆に言えば、かわいそうだと思えない人は助けなくていいという事になってしまう

もう一度、言います。それは、危険な発想です。

鈴木さんはこの問題を『貧困問題の安易なコンテンツ化』として、さらに詳しく突っ込んで書いています。が、僕は読者の方々にまずは「かわいそう」から始まる貧困当事者への視線は危険である事を伝えるのが基本であると考え、こんな文章を書いてみました。

 

それにしても、鈴木さんの東洋経済オンラインの連載、勉強になるので、今後も引用させて頂きたいと思います。

共に、貧困問題を考えて行こうではないか?!

自立とは、依存しない事じゃない!、自立とは、何に依存しているか理解する事です

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僕の友人には、中年ひきこもり、30代でもフリーターという人が多いんです。

彼ら、彼女らは年収が低いため、いつまでも実家に暮らしていたりします。

 

そのため、強いコンプレックスを抱えているんですよ。

彼ら、彼女らは、以下の愚痴、嘆きを頻繁につぶやくようになります。

「僕(私)は、何の能力もないダメ人間だ」

「いつまでも実家にいる自分は自立できない社会不適合者だぁ」

「どうせ面接に行っても落ちるだけだし、正直、働くのが怖い!」

 

要するに、自信がない。あまりにも長くひきこもっていたので、今さら社会に出て働くのは無理なんじゃないか、と思ってしまっている。

でもね、僕はそんな人に一言言いたい。それは、勝手な思い込みなんですよ、と。

 

実際に、会ってみると、ちゃんと自分の考えを持っているし、PCの知識だって豊富な人も多い。

そりゃ、大金持ちにはなれないかもしれないけど、ちゃんと税金を払って、家賃を払って暮らして行く事ぐらいは出来ると思うんですよ。

しかし、こっちが見たら普通に働けると思える人でも、必要以上に働く事を怖がっている。

なぜ、何でしょうか?皆さんは、この問題、どんなふうに考えてます?

 

僕はですね、こんなふうに考えてます。

きっと、長年、ひきこもったり、働く事を怖がったりしている人は、自立を勘違いしている、と。

どういう事か?解りますか?

ちょっと説明させてください

 

自立とは、依存先を意識すること

これは、会社で働いている正社員の人も勘違いしているかもしれません。

「自信満々に俺(私)は、自立している」と、宣言する人ほど自分が就職した会社に依存している事に気がついていないんです

もっと、はっきり言ってしまえば、本当の意味で、完全に誰にも頼らないで自立している人なんて、この世に1人も存在しないんですよ。みんな、意外にその事を忘れちゃっている。

 

たとえば、会社員は会社に依存している。

フリーランスでバリバリ働いている人だって、結局、頻繁に仕事を依頼してくれるクライアントがいたりして、その人に依存している。

プロブロガーだって、そうですよね。完全に、Googleに依存している(笑)

だって、そうでしょ?、自分の書いた記事を検索上位にするために工夫している時点で、間違いなくGoogleに依存しているわけですよ。

だから、自立する、大人になる、社会人になるって事は、ちゃんと自分が何に依存して生きているのか?を確認できる人になる事だと思うんです。

けして、何かに依存しないようになる事じゃない。むしろ、逆で、何に依存しているか確認する事が重要なんです。

 

もちろん、考え方を変えるだけで、一気に中年ひきこもりの問題が解決できるとは思えません。

しかし、自立に対する考え方を変えること。それが、一歩踏み出すために必要だと思えてならないんですよ、僕は。

そうすれば、働く事の恐怖を少しずつ取り除く事が出来ると思うんです

「依存してない人なんていないよ」というメッセージを自分にも他者にも送り続けたいと思います

 

自立とは依存先を増やすこと

皆さん、この言葉知ってますか?

新生児仮死の後遺症により脳性まひの障害を持つ熊谷晋一郎さんが言った言葉です。

熊谷さんは、インタビューでこんな事を言っています。

一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ

 

まさに、その通りですね。

僕は、熊谷さんのこの言葉をこんなふうに解釈しています。

人間は、何かに依存しないと生きていけない。だったら、依存先は多いほうがいい。一つの場所にいる事で安堵しないで、どんどんと依存先を増やして行こう!

 

自立とは、依存しない事だと勘違いしている人は、無意識に依存先を一つに絞ってしまいがちです

でも、それは逆に危険なこと。

共に、依存先を増やして行こうではないか?!

ブログサロンを楽しむ方法はたった一つ!待つな、動け!

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今、多くのブログサロンがあります。

有名なものをちょっとリストアップしてみましょう。

synapse.am 

www.jimpei.net

yossense.com

laugh-raku.com

www.inoueyuuki.com

www.meguminimal.com

 

どうでしょうか?パッと思い出しただけでも、これだけあります。驚きですね。

これだけブログサロンが流行ると、SNSを通して様々なブログサロンの感想を目にする事があります。

 

たとえば、こんな感想。

「レベルが高すぎて、全然、学べなかった」

「講師が忙しすぎて、しっかりと教えてくれなかった」

「サロン内の交流がない!」

などの意見をたまに目にする事があるんですよ。

 

でもね、僕はこういった感想、意見を聞いて、いつも疑問に思うんです。

「あれ?全部、受け身じゃないか?」、と。

「いや、いや、お金を払ってるんだから、サービスを要求するのは当然でしょ?」と、思われたかもしれません。

しかし、当たり前の事を言いますが、サロンやセミナーなどは受講する人たちが何かを学ぶためのきっかけにする場所だと思うんです

そう、あくまで、きっかけなんですよ。

 

自分から動く事で鍛えられるものとは?

考えてみてください。

サロンやセミナーを受講すれば、手取り足取り教えてくれて、あ~んと口をあけてれば、いつのまにか人気ブロガーになっているなんて事はありませんよね

たとえば、ブログの事で疑問に思う事が出て来て、サロンやセミナーで講師の方にアドバイスを貰ったとします。

そこで、貰ったアドバイスをもっと理解するために、自分なりにネットや本を読んで調べて、だんだん解って来る。

でも、ネットや本を調べても解らない事が出て来るので、もう一度、講師の方に質問する。

それでもよく解らなかった場合は、ブログやネットに詳しい友人や知人に聞いてみて、やっと理解する事が出来る。

 

きっと、まったくの素人がブログに関するSEOやデザインを学ぶためには、上に書いたような流れで勉強して行くと思うんです。

もう一度、確認しますよ

 

その1・ブログサロンやセミナーを受講する。解らない事を講師の方に質問して、アドバイスを貰う

 

その2・アドバイスを貰っても解らない部分があるので、ネットや本で調べる。

 

その3・そうすると新たな疑問が出て来たので、もう一度、講師の方に質問する。

 

その4・さらに、また解らない部分が出て来たので、ブログに詳しい友人、知人に聞いて、やっと理解する事が出来る。

 

だいたい、この流れだと思います。

しかし、冒頭で紹介した受け身の感想を持っている人達は、その1で諦めてしまっているのではないか、と思うんですよ。

はっきりとお伝えします。

せめて、その4まで自分でやりましょう。僕は頭がいいほうじゃないので、その4までやっても、完全に理解できないかもしれない。

けれど、その4までやった人とその1で諦めてしまった人とでは、はっきりとした差が出ます。

それは、何か?質問力です。

 

人に質問する時の質が違って来るんですよ。明らかに、違って来ます。

むしろ、この質問力を鍛えるために、ブログサロンに入る!、という気持ちでいいと思えるぐらいです。

どうでしょうか?もしブログサロンやセミナーを受講するのなら、その1からその4を意識してみてください。

待たないで、自分から動く事が重要です。

共に、待たないで、動いて行こうではないか?!

弱小ブロガーよ、ブログで稼げなくても気にするな!、続けていれば奇跡がおきる

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今日は、ブログ論をお伝えします。

皆さん、下の記事、読みました↓

「やぎろぐ」「まじまじぱーてぃー」はブログで稼ぎたいなら必読。 : まだ東京で消耗してるの?

プロブロガー・イケダハヤトさんが書いた記事です。

記事内で紹介されている八木さんが運営する『やぎろぐ』とあんちゃさんが運営する『まじまじぱーてぃー』は、ブロガーなら知らない人がいないと言っていいほど、有名になって来ました。

ただ、僕はお二人のような天才型ブロガーが登場すると、いつも心配する事があるんですよ。

 

それは、天才ブロガー達と比べてしまって、ブログを書く事を辞めてしまう人が多くなるのではないか?、という心配です。

「4か月で37万PVとか絶対に無理だ、書くの辞めちゃおうかなぁ~」とか「ブログ飽きたから、消す事にする」と、思う人が続出するのが、天才ブロガー達が登場する時期と一致する事が多いんですよ

まぁ、べつに、それで辞めてしまうぐらいなら、辞めてもいいと思います(笑)。

しかし、いつも楽しみにしていたブログがいつのまにか止まってしまうと、本当に寂しいものなので、今日は僕のような弱小ブロガーを応援するメッセージを書きますね

 

ブログは稼ぐだけがすべてじゃない!

まぁ、ブログ飯で稼ぐことが出来たら、それはそれで問題ありません。

でも、稼げないからって、気にする事はないんです。

たとえば、僕のような月5万PVの弱小ブロガーでも様々な奇跡を起こす事が出来るんですよ。

 

たとえば、こちら↓

生活保護受給者に自己責任論を訴える人は、鈴木大介氏『最貧困女子』を読んでみろ! - 脱貧困ブログ

ヤフーニュースの関連記事に掲載された記事です。

自己責任論 昔は生活保護にも(2015年1月26日(月)掲載) - Yahoo!ニュース

今でも、検索から流入が続いていて、多くの人に読まれています。この記事だけで9万PVでした。

 

次に、こちらの記事↓

就職せずにフリーターを選んだ君へ、夢と目標は違う事を知ったほうが良いと思うたった一つの理由 - 脱貧困ブログ

当ブログの過去最高のはてブ記事。

これも、今も検索流入から読まれていて、未だにコメントがついたりするんですよ。

 

あと、思い出深いのが、こちらの記事↓

低収入で実家を出られない若者にどんなメッセージを送ればいいのか?ちょっと考えてみませんか? - 脱貧困ブログ

これは、プロブロガー・イケダハヤトさんのブログに寄稿させてもらって、多くの人に読んで頂きました。

まだ実家で消耗してるの?「低収入」で「実家をでられない」若者に送る4つの選択肢。 : まだ東京で消耗してるの?

 

どうでしょうか?このように、時々、バズったり、有名ブロガーのブログに寄稿させてもらったりすると、多くの人に自分のブログを知ってもらう事が出来ます。

そうすると、思わぬ奇跡がおきるんですよ。

たとえば、先日、こんな事がありました。

 

読者と偶然、会った日

友達が経営するBARに遊びに行った時の事です。

そのBARは、7人座ると満席になってしまう小さなお店なんですよ。なので、よく満席になると、自己紹介タイムが始まって、他のお客さんとの交流を楽しむ事が出来るんです。

 

その日も、自己紹介タイムが始まりました。

僕が自己紹介する順番が回って来て、僕は話し始めます。

「皆さん、はじめまして、フリーライターをやっているケンタロウと申します。脱貧困ブログというブログを書いています」と、ここまで話した時、隣の席の女性から大きな声が聞こえて来ました。

「えっ!、脱貧困ブログのケンタロウさんですか?!うわっ、、すごい!」と、握手を求めて来るんです。

僕は何がなんだか解らなかったんですが、とりあえず握手しました。

そして、その女性はこんなふうに話してくれたんです。

「実は、脱貧困ブログの記事で紹介されたシェアハウスに連絡して、ちょっと前まで住んでたんですよぉ~」

今度、大きな声を出したのは、僕のほうでした(笑)

「えっ!そうなんですか?!、ありがとう、めちゃくちゃ嬉しいです!」

 

その女性が読んでくれたのは、こちらの記事です↓

家が無いならここへ行け!駆け込み型シェアハウス6選 - 脱貧困ブログ

駆け込み型シェアハウスを紹介した記事なんですが、実際にその女性は記事内で紹介されたシェアハウスに連絡して、住民として住むことにしたと言うんですよ。

もうね、泣きそうになりましたよ(笑)、ブログ書いていて、心の底から良かったと思いましたね

 

べつに、自慢したいわけじゃありません。

僕のように、たかが月5万PVのブロガーでも読者の人生を変えるような記事を書くチャンスがあるんだ、という事が言いたいんですよ

でも、もし僕が「やぎろぐ」や「まじまじぱーてぃー」のようなモンスターブログと比べて、ブログ書くのを辞めてしまったら、「駆け込み型シェアハウス」の記事を書いてなかったかもしれません。

そうなると、BARで会った女性の人生がちょっとだけ変わったかもしれない。

 

弱小ブロガーの皆さん、あなたのブログ記事が誰かの人生を変える事があるんです

ブログ飯で稼げないからって、ブログを辞めてしまうのは、はっきり言ってもったいない

 

ぜひ、書き続けてください。そうすれば、奇跡がおきます。本当です。

ただし、書く時に次の二つの事を忘れないでください。

一つは、自分の伝えたい事を確認すること

二つ目は、読者目線で書くこと

 

この二つだけです。本当にこの二つだけなんですよ。

文章を上手く書く必要もありません。この二つを意識すれば、たとえPVがヘボくても、読者の心を動かす記事を書く事が出来るんです。ぜひ、やってみて。

 

最後に、ブログを書くモチベーションが下がったら、読んでほしい記事があります。

それが、こちら↓

自分には才能や能力が足りないと思っている人がやるべきたった1つのこと : 好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライターかさこのブログ

月30万PVの人気ブロガー・かさこさんの記事です。

この記事を最初読んだ時、ちょっと感動して、ウルッとしてしまいました(笑)

 

どうだったでしょうか?

大事なのは、続けることです

毎日更新が無理なら、週一更新、週一更新が無理なら、二週間に一回更新にする。とにかく辞めない事が重要です。どうか忘れないで。

共に、ブログで奇跡を起こそうではないか!?

努力しても低収入の若者が増えて行く現実は、個人の努力で止める事は出来ません!

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前回、こんな記事を書きました

kentaroupeace.hatenablog.com

  

内容を簡単に説明すると、こんな感じ

低収入同士の結婚は、立派な貧困対策になっていると思う!

そのために必要な心得を4つ考えてみた

 

まぁ、具体的な内容は、ぜひ読んで頂くとして、上のような内容を書いてみたんです。

そうしたら、女性読者の方から、いくつかご批判を頂きました。

一番、多かったのが「低収入でいるために結婚するみたいに思える!、女性に甘えるな!、もっと努力しろ!」というものです。

次に多かったのが、「男性側が低収入を維持するために結婚するみたいで、けしからん!」というご意見。

どちらのご意見も、低収入を前提に書かれているところにムカッとしたようなんですよ

 

なので、前の二つの意見をふまえて、こんな提案もありました。

「5つ目に、低収入を脱出するために努力する!という心得を追加すればわかる!」

言ってる事は、よく解ります。おそろく、簡単に言うと、「おまえは、ヒモ予備軍になりたいのか!?」というふうに誤解されたんだと思います。

 

しかし、それは、やっぱり誤解なんです。

僕は自分の好きな人を守るためには、お金が必要である事ぐらい解っています

自分の彼女が病気になった時に、助ける事が出来るのは自分が持っている貯金です。

そんな事は解っています。

今、「じゃあ、なぜ解っていながら、おまえは低収入を前提に結婚を考えてみたの?」と、不思議に思われた方がいるかもしれませんね。その答えは意外にシンプルなんですよ。

前回、書いた記事の目線が「努力しても、低収入のままでいてしまう男性」に向けて書かれているからです。

そう、「努力しても低収入のまま」という所がポイント

そういう男性たちに、ちょっとしたエールを贈る気持ちで書いてみたんですよ、前回の記事は。

 

今、また「はぁ?努力しても低収入でいる奴なんているわけねぇだろ?それは、まだ努力が足りないんだよ!」と、思った人がいるでしょ?

きっと、「5つ目に、低収入を脱出するために努力する、という心得が追加されれば解る!」と、コメントしてくれた方も同じような考えだと思います。

 

しかし、本当にそうでしょか?

今、この国で生きる人達は、みんな努力すれば低収入から脱出する事が出来るのでしょうか?

また、100歩譲って、努力すれば低収入から誰でも脱出する事ができるとして、その努力はちょっとやそっとの努力じゃありません。

解りやすく言うと、命がけの努力をしなければ、低収入から脱出できないのではないか?、と思うんですよ。

おおげさに聞こえますか?僕はおおげさではないと思うんです。むしろ、現実的な感覚だと思うんですよ。

ちょっと、一緒に考えてみましょう。

 

努力しても上手く行かない人達が増える時代

以前、「ナリワイをつくる」という本を書いた伊藤さんがこんな事を書いてました。

ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方

ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方

 

仕事と言えば、就職。

つまり、会社で一つの仕事をする、という考え方が常識だ。

さらに、現代では「生活を犠牲にしてやるのが仕事」という定義も半ば常識になってしまっている。

仕事は、自分の時間と健康を切り売りして、マネーと交換するものであると

 

でも、それがしんどくなって来た。体を壊して、会社を辞める人は少なくないし、私の知人友人でも「うつ」や過労で会社を辞めた人が10人以上出てしまった

私自身も小さなベンチャー企業で日夜働いていた時には、家での生活と会社での生活が完全に分離していて、当時の記憶があまりない。

ストレスなのか、寝る前にハーゲンダッツを食べないと眠れない事もしばしばであった。

睡眠時間を削って稼いだお金が、睡眠不足のストレスを解消するためのアイスクリーム代に消える。

どうもこれは、おかしい。

いまだに、キャリアコンサルタントと名乗る人がメディアで「人生の大半を占める仕事なのだから、ちゃんと選びなさい!」と、就活生へのアドバイスを送っている。

だが、その前に考えてほしい。

人生の大半を、人生から垂離した仕事に占領されてしまっていいのだろうか?

 

どうでしょうか?僕は思うんです。

引用の文章にも書いてあるように、仕事をバンバンして、年収を上げて行くためには、3つの覚悟が必要です。

一つ目は、「生活を犠牲にする覚悟」、二つ目は「自分の時間と健康を切り売りする覚悟」、三つ目は、「うつ」になったり、過労で倒れる覚悟」。この3つです。

 

今の若者の中には、「この3つの覚悟を待たなきゃ年収が上がらないなら、低収入でいい」と、考える人もいると思うんです

もっと言うと、3つの覚悟を持てない人は、低収入を選ぶしかないんですよ。低収入を維持したくてしてるんじゃなくて、維持せざる得ない人達がいるという事です

そんな事を考えて行くと、僕は今後、ますます低収入の若者は増えて行くと思う。それも男性だけではありません。女性もです。

いや、もっと素直に言うと、女性のほうが深刻だと思います。

「だから、やっぱり女性は、金持ちと結婚したほうがいいよね?」と、反論するかもしれません。が、今やずっと家庭を支えてきた男性側が努力をしても非正規や低収入に追い込まれています

年収200万円~400万円ぐらいの人達が多くなって来ている

共倒れの時代なわけです。

 

そして、「3つの覚悟」を要求される社会の中にいる限り、個人の普通の努力ではどうすることも出来ない。

僕が「命がけの努力」をしなければ、年収を上げる事は出来ないと表現したのも、おおげさではないと理解して頂けたでしょうか?

僕は、今書いた事を考えた結果、低収入同士の結婚は、むしろ、現実的なアイディアではないか、と考え、前回の記事を書いたわけなんですよ。

 

もっと言うと、この先の未来も、夫が働きに出て、妻が専業主婦という結婚生活が成り立つと思っているなら、それは古い価値観です、と言わざる得ない!、そんな結婚生活は、3つの覚悟を持った戦闘能力が異常に高い男達だけのお話しです

僕はそんなふうに思えてなりません。

どうでしょうか?、もちろん、僕の未来予想とは別のものが見えていて、「今後、アベノミクスが成功して、一億総中流社会がもう一度来る!」と思っている人もいるでしょう。

それなら、それで別にいい。ただ、ただですよ。昨日、WEBニュースを見ていたら、こんな記事をみつけたんです。

働く人として尊重されない 疲弊する非正規社員 - Yahoo!ニュース

「一億総下流時代」到来!? 若者が「下流老人化」を防ぐために今出来ること――NPO法人「ほっとプラス」代表・藤田孝典さんに聞く (1/2)

一つは、非正規雇用の実態をレポした記事、もう一つは、年金では食べていけない高齢者が増えていく事を危惧する記事です。

これらの記事を見ていると、やっぱり低収入同士が協力して、知恵を出し合って、生きて行く道を模索していく方が現実的である、と思えてなりません。

皆さんは、どう感じましたか?共に、生存戦略を考えて行こうではないか?