やさしさは頼りにならない。だからこそ、生活保護を勉強しよう!
先日、友人のA君(会社員・34歳)にこんな事を言われてしまいました。
「脱貧困ブログは、貧困当事者と向い合ってないと思う、もっと現場に出るべきだ!」
このブログ、脱貧困ブログの目的は、以下の二つです。
1・お金がない自分自身や自分と似た境遇の人達が貧困にならないためのアイディアを発表して行くこと
2・社会的に貧困を解決するための提案をして行くこと。
この二つが目的なんです。
A君は、その二つの目的を知っているので、「当事者と今以上に向い合わなければ、目的を達成している事にならないんじゃないの!?」と、アドバイスしてくれているんですね。
確かに、と思いました。僕は月一でボランティアに行っているぐらいで、他にたいした事はしていません。
しかし、A君は違います。A君は積極的にホームレスの方々と会いに行き、食事を提供し、コミュニケーションをしているようなんです。
A君がホームレスの方々と向き合うようになったのは、三ヶ月前ぐらいから。
飲みに行った帰り道、いつもすれ違うホームレスの方に挨拶したのが、交流のきっかけだったと言います。
A君とホームレスの方々との交流は、それからも続き、やがて路上で一緒に飲む、飲み友達に発展して行きました。もちろん、飲み代はA君の奢りです。
A君は、胸を張って、こんなふうに話します。
「僕のやっている事は社会活動なんだよ、でも、脱貧困ブログがやっている事は単純にブログで貧困をテーマに表現するだけ、それじゃ何も変わらないよ」
言いたい事は解りますし、A君のやっている事はとても素晴らしいと思います。
だから、これからも続けてほしいと本気で願っています。
しかし、A君は大事な二つのポイントを見逃していると思うんですよ。
そのポイントとは、以下の二つです。
1・生活保護を勉強しないで、貧困当事者を支援しようとするのは危険であること
2・A君のやっている事は、社会活動ではなく、個人的な善意であること
僕は、A君にこの二つのポイントを意識しながら、ホームレスの方々と交流したほうがより上手くいくのではないか?と提案しました。
でも、A君には伝わらなかったみたいで、僕が話している間、ずっと不機嫌でしたけどね(笑)
皆さんはどう思いますか?なぜ、上記の二つのポイントが重要だと思いますか?
ちょっと、一緒に考えてみましょう。
どん底に落ちたら、生活保護しかない
僕は、A君にこんな質問をしてみました。
「もし、A君が交流しているホームレスの方々の一人が、病気になって倒れたらどうする?」
ホームレスになると、雨の日も風の日も路上にいる事になるので、体調を悪くしてしまい、病気になる事だってあります。
A君はこんなふうに答えました。
「そりゃ、救急車を呼んで、入院してもらうよ。それしかないでしょ?」
今度は、僕が答えます。「でしょ?じゃあ、入院したとして、その入院費は誰が払うの?A君が払うの?無理でしょ?だから、生活保護を勉強しておいたほうがいいよ、生活保護費で払うしかないんだから」
僕がこんな事を言うと、A君は驚いた顔でこんなふうに言いました。
「えっ?、住所が無いのに、生活保護って申請できるの?」
これは、あまり知られていません。が、生活保護は住所が無くても申請できるんです。
確かに、生活保護法第30条では、「居宅保護の原則」と言って、「生活扶助は、被保護者の居宅において行うものとする」、という事になっています。
しかし、今、住所が無くても、現在いる場所の役所で仮の住所を申請できるという方法があるんです。この制度を使えば、今、住所が無くても生活保護を申請する事が出来るんですよ
ちなみに、生活保護のこのへんの知識は以下の本を読んでおくと、勉強できると思うので、ぜひ参考にしてみてください
- 作者: ホームレス総合相談ネットワーク
- 出版社/メーカー: ホームレス総合相談ネットワーク
- 発売日: 2012/11
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あなたにもできる!本当に困った人のための生活保護申請マニュアル (DO BOOKS)
- 作者: 湯浅誠
- 出版社/メーカー: 同文舘出版
- 発売日: 2005/08
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- 作者: 雨宮処凛
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んで、上記の知識を知っているかいないかで、だいぶホームレスの方達との関わり方が違って来ると思うんです。
たとえば、A君が交流しているホームレスの方が「生活保護を申請したい」と、言い出したとします。
もちろん、A君はホームレスの方と役所に行って、生活保護を申請しようとするでしょう。
しかし、役所の役員にこんな事を言われてしまうかもしれません。
「住所が無い人は生活保護を申請できませんよ」
これは、違法です。でも、役所の人間は時に違法な事を伝えて来る事があるんですよ
これを水際作戦と言います。
生活保護の水際作戦事例を検証する / 大西連 / 自立生活サポートセンター・もやい | SYNODOS -シノドス-
このように、A君が生活保護の知識を知らないままだと、「住所が無いと生活保護を申請できません」と言わた時、それをそのまま信じてしまう事になるんです。
だからこそ、ホームレスの方々と交流して行くうえで、生活保護を勉強して行く事は重要になるんですよ。
A君はやさしい男です。だから、僕の大好きな友人の一人である事に間違いはない。
でも、悔しいけれど、やさしさは頼りにならないんです。だからこそ、生活保護を勉強しましょう。
とは言え、僕も専門家ではありません。まだまだ知らない生活保護の知識がたくさんあります。
特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい | もやいは、 自立をめざす生活困窮者の 新たな生活の再出発を お手伝いします。
特定非営利活動法人ほっとプラス - 全ての人がホッとできる福祉社会を目指して
そうすれば、いざとなったら、自分の足りない知識を学ぶ事が出来ます。
社会活動とは広い視点を持つこと
最後に、なぜA君のやっている事は社会活動とは言えないのか?を説明しましょう。
理由は簡単。それは、A君のやっている事はA君の知り合いのホームレスの人達にしか届いていないからです。
A君はホームレスの方々に食事やお酒を提供し、楽しくコミュニケーションをしている。
しかし、その他のホームレスの方達には、食事は届いていないし、もちろんお酒もない。
これでは、社会活動とは言えないんです。
なるべく、多くの困っている人達に支援が行き届くようにすること。
それを社会活動と呼ぶのではないか、と僕は考えています。
具体的に言うと、炊き出しのような活動ですね。勘違いしないでほしいのは、A君がやっている事も必要だと僕は思っています。ただし、社会活動ではないという事をはっきりさせたほうがいいと思っているというだけです。
どうでしょうか?やさしさは頼りにならない。だからこそ、知識を身につけて行く事が重要になって来ます。
共に、生活保護と社会活動に目を向けて行こうではないか?!
人は人を救えません。でも、手伝う事は出来ます!
僕は貧困問題に興味を持ち、脱貧困ブログを作りました。
自分自身が貧困にならないためのアイディアと社会的に貧困を解決するための提案をして行くのが当ブログの目的です。
また、これまで貧困問題解決をミッションにするNPO団体のボランティアに参加したり、貧困問題をテーマにしたトークイベントなどにも出来る限り、足を運ぶように心がけて来ました。
んで、僕が上記の内容を飲み会の自己紹介などで伝えると、たまに、こんな感想が返ってくる事があるんです。
「貧困問題解決?偉いですね!、貧困に苦しんでいる人を救いたいんですね?」
このコメント、本当に時々、頂く事があるんですよ。
つい最近、参加した飲み会でも言われました。いい機会なので、はっきりと伝えておこうと思います。
人は人を救えません!
貧困に苦しむ人を自分の力で救うなんて、出来るわけないんです。
貧困だけじゃありません。人間関係、仕事で悩んでいる人など、普段、身近で聞く事がある悩みを持っている人さえも、完全に救う事は出来ないんです。
逆に言うと、自分自身が何かに悩んでいても、完全に救ってくれるヒーローみたいな人が現れる事はないんですよ
「じゃあ、何でおまえは、貧困問題解決を目的にこんなブログを書いてるんだよ?」と、聞きたくなった人がいるかもしれませんね
理由は、簡単です。人は人を救えない。でも、手伝う事は出来るからです。
そう、手伝うという感覚を忘れないでいる事が重要なんですよ
けして、困っている人を救えるなんて思っちゃいけない。
なぜ、思っちゃいけないと感じるようになったのか?それは、僕が学生時代に、体験したある出来事が大きく影響しています。
ちょっと、語らせてください。
救えなかった友達のMちゃん
僕は映像関係の専門学校を卒業しています。
そこで、小柄で可愛らしいMちゃんという女の子と出会いました。
彼女は、明るくて、活発な女の子です。なんていうか、活発を通り超して、いつもテンションが高い女の子だったんですよ。
今、思うと、彼女はそう鬱状態だったのかもしれません。
僕とMちゃんはすぐ仲良くなり、よく映画を観に行ったり、飲みに行ったりしていました。
Mちゃんは、僕にいろいろと話してくれました。
お母さんとコミュニケーションが上手く行ってないこと、人間関係の距離感が解らなくて、人を怒らせてしまうこと、リストカットをしてしまうこと。
Mちゃんは本当にたくさんの事を話してくれたと思います。
僕は完全に仲良くなった、親友になれたと思っていました。お互いに、信頼できる関係だし、Mちゃんを救えると勝手に思っていたんです。
しかし、それは間違いでした。Mちゃんは、僕との待ち合わせに来ないようになります。
それどころか、学校に来なくなってしまうんです。メールを送っても返信がありません。今で言うと、LINEの既読スルーです。
しかし、僕はめげません。心配で心配でしかたがなかったので、時間があくたびに、メールを送ったり、電話したりして、なんとかMちゃんと連絡しようとしました。
でも、返って来たのは、一回だけ。「もう、連絡しないで!」というメールの文章だけでした。それからしばらくして、結局、Mちゃんは学校を辞めてしまったんです。
僕はMちゃんにとって、単なるウザイ奴だったわけなんですよ(笑)
この出来事は、僕に多くの学びを与えてくれました。
それは、やっぱり、人は人を救えない、という事です。
手伝うために自分が元気でいること
人は人を救えない。でも、手伝う事は出来ると言いました。
僕は今でも、Mちゃんを救う事は出来なくても、手伝う方法があったんじゃないか?と思っています。
そして、今は冷静になって、友達が悩んでいたりすると、自分にはどんな手伝いが出来るか?を考えるんです。救う方法じゃありませんよ。そんなものはありません。あくまでお手伝いです。
皆さんはどうでしょうか?
しかし、ここで必ず覚えていてほしい事があります。
それは、手伝うためには、自分自身が元気でいなければいけないという事です。
考えてみれば、当たり前ですね。自分が元気がないのに、人を手伝えるわけがない。
だから、誰かを手伝う時は、あなたがどこまでなら元気でいられるか?のボーダーラインをしっかりと理解する事が大事です。
解りやすい事を言うと、セルフマネイジメントをしっかりするという事ですね。
お互いに共依存になって、共倒れになってしまっては意味がありません。
Mちゃんは、自分から僕に攻撃してくる事はありませんでした。しかし、タイミングが合えば、僕に暴言を吐いたり、中傷して来たり、無理難題を押しつけて来たかもしれません。
そんな時は、まず冷静になる事です。
「相手の要求や言葉を全部、受け止めて、おまえは元気でいられるのか?」と、自分自身に聞いてみてください。
もし、相手の要求、言葉を全部、受け止めてしまう事で、自分の元気が奪われてしまうなら、受け止めちゃダメなんですよ。
自分を責めないでください。
Mちゃんがいなくなった時、僕は自分自身を責めました。そのため、僕がうつっぽくなってしまったんですよ。
皆さんは、そんなふうになってはダメです。無理難題を言われたら、出来ない事は出来ないと断りましょう。
「出来ないと言って、相手がヤケになってしまうのが心配だ」と、思うかもしれません。
しかし、そこで、思い出してください。
人は人を救えない。出来るのは、手伝うところまでなんです。
何も知らない周囲の人達が「冷たい」とか「無責任だ」とか言ってくるかもしれません。言わせておきましょう。
あなたがうつにならない事、元気でいる事のほうが重要です。
なぜなら、あなたが病気になってしまったら、うつになってしまったら、手伝う事すら出来なくなってしまうからなんですよ。
どうでしょうか?くれぐれも忘れないで!
共に、他者を手伝える人になろうではないか?!
相模原殺傷事件で感じた、私達がダークフォースに落ちるかもしれない危険性とその小さな対策
あまりにも悲しい事件が起きました。
平成元年以降、最大の犠牲者が出た相模原殺傷事件。
この事件の最も恐ろしい部分は、犯人の異常なまでの合理的思考です。
それも単なる合理的思考ではなく、経済的な合理性と言ったほうが正確かもしれません。
「障がい者は邪魔な存在なので、消したほうが良いと思った」と、犯人は言っていたらしい。うろ覚えですが、同じニュアンスのことを犯人は言っていたとテレビで知りました。
この思考は、事件直後、ネットで話題になったように、第二次大戦中のナチスの思考、哲学ですね、犯人もナチスの思想に共感していたようです。
実際に、当時、ナチスは障がい者を戦力外通知をするかのごとく消して行き、その思考の果てにユダヤ人の差別、虐殺にまで発展しました。
僕らの国は、これまで経済成長の名のもとに、競争し、世界で上位ランクに入る経済大国になりました。
誰かの役に立つ事が当たり前、競争で勝って行かなければいけないのは常識中の常識。
そんな生産的な存在になる事が義務づけられた現代の中で、経済的に非生産的な存在はどうやって生きていけばいいのでしょう?。
また、どうして相模原事件の犯人は、事件を起こしてしまったのか?
なぜ、犯人は「非生産的」と障がい者を判断し、その想いが差別的な殺傷事件にまでなってしまったのか?
そうです、今回のテーマは、『非生産的』というワードです。
これは、僕がずっと考えて来た『貧困』、『生活保護』の問題と直結します。
誰しも高齢者になったり、不慮の事故に合い、経済社会の中で「非生産的」な存在になる可能性があります。
一緒に考えてみましょう。
ダースベーダーはなぜダークフォースに負けたのか?
テレビであの事件の犯人が車の中でニヤリと笑う場面にゾッとした人もいるでしょう。
あの場面をテレビで観て、不謹慎と言われるかもしれませんが、僕は「あぁ~、ダークフォースに負けてしまったなぁ」と、思ってしまいました。
ダークフォースとは、映画「スターウォーズ」に出て来る闇の力の事です。
スター・ウォーズ オリジナル・トリロジー DVD-BOX<3枚組> (初回生産限定)
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知らない人のために、ちょっとだけ説明しましょう。
映画「スターウォーズ」のストーリーは、宇宙の戦いがベースになっています。
そのストーリーの中で大きな役割を担うのがフォースの力を操るジェダイの騎士です
もともとフォースは誰の中にもあるのですが、そのフォースの魔法と呼べる力を引き出し、コントロールできるのは、厳しい修行を受けたジェダイと言われる騎士だけです。
詳しくは、ぜひ映画史に残る名作「スターウォーズ」を観てほしいのですが、あの作品の中でダーク(闇)に落ちてしまうのがダースベーダ―なんですよ
ダースベーダーはなぜダークフォースの力に身を任せてしまったのか?
僕は2000年代に公開されたエピソード1・2・3を観て、その理由がはっきりと解りました。
その理由とは、『非生産的』なものを拒否し、すべてを操る強い力を手に入れようとしたから、というものです。
では、映画で描かれた『非生産的』なものとは何でしょうか?
一つは、『死』です。ダースベーダーは、自分の恋人の死を必要以上に恐れました。
しかし、老いること、そして『死ぬこと』は誰にも逃れる事が出来ない、人生で最も大きな『非生産的』な行為です。
ダースベーダーは恋人が死ぬことを恐れるあまり、ダークフォースを使って、恋人を死なせない力を手に入れようとしました。つまり、恋人の死をコントロールしようとしたんです。これは、ある意味、恋人を生かすも殺すも自分が判断できる力を得ようとした、と言っていいでしょう
それが、ダースベーダーがダークフォースに負けたそもそもの始まりだったんです
映画「スターウォーズ」の深い哲学は、そこにあります。
闇の力と言うものは、完璧なまでの合理性から生まれるんだ、と映画「スターウォーズ」は教えてくれていると思えてなりません。
「死」すらもコントロールしようとする事。犯罪とは、合理性、合理的なるものを過剰に求める行為なのです。
今回の事件でそれがはっきりと解ったのではないでしょうか。
僕らは自然を見つめていかなければいけない
もう少し突っ込んで、合理的なるものの逆とは何なのか?を考えてみましょう。
合理的の逆、非生産的でコントロールできなくて、めんどくさいもの、それは自然です。
老いること、病気、死。そして生まれながらに障がいを持つこと、これらはすべて誰もコントロールできない自然なこと。
自然とは、人工的に作れないこと。そんなふうに説明すると、解りやすいかもしれませんね
皆さんは、『自然』という言葉を聞いて、森、林、花、などを、すぐに想像するかもしれません。
しかし、何も森、林、花だけに限った事ではありません。人間だって、森や林、花と同じように自然なんです。
今のところ、人間を人工的に作る事は出来ない。どんな人で、どんな性格で、どんな身体を持って生まれて来るのか?は誰もコントロールできない。
そういう意味で、経済社会にとって、子供も非生産的な存在です。よく、子は授かりものと言われますが、あれは言い当て妙と言っていいでしょう。
子供は自然であるが故に、非生産的で非合理的で、コントロールできない。でも、だからこそ、愛らしくて守ってあげたくなる。僕らは、もう一度、その事を思い出せなきゃいけません。
虐待も子供に合理性を求めた親の犯罪と言えるでしょう。本来、人は、合理的なるモノとは真逆の存在なのです。
けして、第三者がコントロール出来るものじゃない。人の死は、その人の老いが決めること。
勝手に他者が終わらせちゃいけない。自然が決める事なんです。
今回のような事件を防ぐ具体的な方法はないかもしれない。しかし、今、僕らが出来る事と言えば、本来、人は合理的なるモノとは不向きな自然な存在であること、それを少しでも思い出す事ではないのでしょうか?
やるべきことは、シンプルです。
人間が作ったものではないこと、自然を見に行きましょう。触れましょう。
そして、コンロール出来ない自然的なる事柄をコントロールしようとしないこと。
なんだかジブリの映画みたいなメッセージになってしまいましたが、けっこう大事な観点だと思っています。
どうだったでしょうか?人は、本来、非生産的でめんどくさくて、合理的じゃない自然な生き物であること。
これは、もちろん、僕が言い出した事ではありません。
数年前に話題になった養老さんの本に書いてあった思想です
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今回の事件を見て、思い出したので書いてみました。
共に、自然を受け入れて生きて行こうではないか?!
世の中にはダサい批判、悪口とカッコイイ批判、悪口がある事を知っていますか?
ネットって、昔から悪口、批判の倉庫ですよね
セミナー講師への批判、悪口、プロブロガーへの批判、悪口、政治家への批判、悪口、本当によくそこまで出て来るな、と思うほど批判、悪口に溢れています。
べつに、人間なんだから、たまに悪口、批判を言ってもいい。完璧ないい人になんかなれるわけがない。
しかし、僕は誰かに悪口、批判を言ったり、書いたりする前に一回、冷静になってみる必要があると思うんですよ。それは、なぜか?
それは、誰にどんな悪口、批判を言うかで、その人の価値観、学んで来たこと、人間性がはっきりと表現されてしまうと思うからです。
たとえば、ネットやブログ界では、よくプロブロガーが悪口、批判の標的にされます。
プロブロガーとは、グーグルアドセンスやアフィリエイトなどで、稼いでいる人達の事ですね。
でも、そういったプロブロガー達への悪口、批判コメントを見てみると、ものすごく幼稚なものが多い。
あくまで、僕の意見ですが、「そんな事、べつにいいじゃん」とか「何でそんな事気にするの?あなたに直接、迷惑かけたわけじゃないでしょ?嫌なら読まなきゃいいのに」と、思っちゃうんですよ
まぁ、はっきり言って、悪口、批判する人達が、ダサい、カッコ悪いんですね。
でも、中には、思わず、「カッコイイなぁ~」と、感じてしまう批判、悪口もあります。
カッコイイと感じてしまう批判、悪口は何が違うのか?
いろいろありますが、今日はとっても大事なポイントを一つご紹介しましょう。
喧嘩を売るなら、強い奴に売る!
ブログを書いていると、たまに炎上する事があります。
まぁ、炎上するのは、べつにいい、しょうがない。でも、誰がどう見ても、うっかり失言を書いてしまって、炎上してしまったんだなぁ、と解る時があるんです。
要するに、炎上マーケティングと言われる、わざと炎上させてPVを稼ぐやり方じゃない。
たまたま、読む人がカチンと来る事を書いてしまって、炎上してしまったというパターンですね。
誰がどう見ても、わざと炎上させたわけじゃないのに、ブロガーも謝っているのに、「バカだ」とか「反省しろ!」とか「恥を知れ!」などの悪口、批判コメントを書く人達。
めちゃくちゃダサい!、カッコ悪い!
狙って炎上できるブロガーなんて、ほとんどいません。ですから、炎上してしまったブロガーのほとんどがうっかりミス、誤解なわけですよ。
僕に言わせれば、「うっかりミスにそんなに怒ったり、悪口、批判したりして、どんだけ人としての器が小さいの?」と、思っちゃうんです。
喧嘩を売るなら、強い奴に売れ!
失敗を気にして元気が無くなって、弱ってる人に対して、悪口、批判するんじゃなくて、すでに権力を持っている人、発言力のある人に対して悪口、批判したほうがカッコイイ!
もうすでに有名人になってしまって、その人に対して悪口、批判が言えなくなっている状態ってありますよね?
そういう有名人にこそ、批判、悪口が必要なんですよ。
勘違いしないでほしいのは、有名人だから悪口、批判していいという事ではありません。
「あの人は有名で、すごい人だから意見を言っちゃいけない」という雰囲気に呑み込まれちゃ行けないよ、という事です。
逆に言えば、世間で強い人と認識されている人のおかしいと思う点にツッコんだ悪口、批判はカッコイイという事ですね。
喧嘩を売るなら、強い奴に売る!、このポイントを大事にしたいと思います。
僕が悪口、批判を言いたくなる時
「じゃあ、おまえが悪口、批判したくなるのは、どんな時なんだよ?!」と、聞きたくなった人がいるかもしれません。
お答えしましょう。貧困問題が原因で人が亡くなった時です。
たとえば、2012年、1月に札幌姉妹『孤立死』事件が起きました。
どんな事件だったのか?を説明するために、下の記事から引用してみましょう。
【北海道姉妹凍死】死の前に3回生活保護窓口訪れ、門前払いされていた | 日刊SPA!
札幌市白石区のマンションの一室で、遺体で発見された40代の姉妹は、生活保護申請が認められず窮乏を極めて亡くなった。
姉の佐野湖末枝さん(42歳)は失業中で昨年末に病死(脳内血腫)しており、知的障害のある妹の恵さん(40歳)は姉の死後に凍死したとみられている。
料金滞納で電気・ガスも止められ、冷蔵庫の中は空っぽだった。
湖末枝さんは体調不良に苦しみながら就職活動や妹の世話をし、3度にわたって白石区役所に窮状を訴えていた。ところが、最後の頼みの綱の生活保護を受けることができなかったのだ。
どうでしょうか?この事件をもっと詳しく知りたい方は、以下の記事もお読みください
僕はこの事件を知った時、生活保護を申請させないようにした行政を激しく批判しました。
確か、当時、書いていたアメブロのブログに行政に対する批判記事を書いた記憶があります。
このように、僕は貧困問題が原因で人が亡くなった時、黙ってられません。
でも、それ以外であれば、たいがいの事はスルー出来ます。
それが僕の悪口、批判のボーダーラインなんです。
さぁ、この記事を読んでいるのも何かのご縁です。
ぜひ、あなたの悪口、批判のボーダーラインを考えてみてほしい。
共に、悪口、批判の質を上げて行こうではないか?!
ストレスを減らしたいなら知っておきたい不完璧主義者になる方法
この社会に生きていると、ストレスが溜まりますよね?
学生さんなら勉強しなきゃ行けないし、クラスの人間関係に気を使わなきゃいけません。
そして、社会人なら、もちろん、仕事の悩みがあります。
仕事でいろいろなストレスが溜まって行く。
仕事の成績を気にしなきゃ行けないし、上司のよく解らない指導を笑顔で聞かなきゃいけないし、逆に後輩がいたら指導をしなきゃいけない。
朝から晩まで仕事の事を考え続けて、生活費を気にする日々。
こんな毎日を送っていたら、いつかうつ病になるんじゃないか?、と自分を自分で心配する人も多い事でしょう。
しかし、僕はそんな現代社会に生きていながら、なんだかんだ楽しく生きているんですよ
別に人が羨む生活をしているわけではありません。むしろ、僕は現代社会の基準で言うと、落ちこぼれ、もっとはっきり言えば、負け犬です。
ちょっと、ご説明しましょう。
いいかげんな奴になるとストレスが減る
僕は現在、34歳。一般的に34歳なら結婚していてもおかしくない年齢ですが、僕は未だ独身です。それどころか、6年間、彼女無し。年収200万円代の売れないフリーライター、というか、フリーターですね。
しかも、年収が低いがために、34歳でいながら実家暮らしをしている。もちろん、実家に家賃は払っていますが、実家暮らしである事に変わりはありません。
どうでしょうか?全力でカッコ悪い雰囲気を感じている人もいると思いますが、本人はそんなに悲観していません。
「いや、もうちょっと悲観しろよ、いい歳をして何やってんだよ!いいかげんな奴だなぁ!」と、ツッコミたくなった人もいるでしょう。
しかし、僕は、そんな人に一言言いたい!
「なぜいいかげんな奴じゃダメなんですか?!いいかげんに生きる事が現代社会でストレスを減らす唯一の方法なのに!」
人生で最も大事な事は、いいかげんに生きる事です、と言ったら、あなたは怒るでしょうか?
では、そこで、考えてほしい。なぜ、そんなに怒るんですか?
べつに、僕が直接、あなたに迷惑をかけたわけじゃないのに、いいかげんに生きる事を薦めたら、どうして、そんなに怒るんです?
ズバリ、言います。
あなたが本当はやりたくない事、嫌な事を我慢して毎日、生きているからですよ
だから、やりたい事をやっている人、いいかげんなのに楽しそうにしている人、我慢しない人を見ると、ムカッとして、怒りたくなるんじゃないですか?
でもね、残念ながら、あなたのイライラ、ストレスを減らす方法は一つしかない。
それは、自分の中に眠っているいいかげんな奴を呼び起こすこと。不完璧主義者になる事なんですよ
しかし、あなたは、自分のストレスは自分をもっと完璧な人にする事でしか減らせないと思い込んでいる。
じゃあ、あなたが完璧になるのは、いつなんですか?
年収1000万円になったら完璧?容姿のいい異性と結婚したら完璧?一流の企業に就職したら完璧?
じゃあ、あなたは理想とする完璧な姿になるまで、いつも欲求不満で、イライラして、ストレスを溜めこんで人に八つ当たりして生きて行くんですか?!
僕は思うんです。人は今すぐ楽しい気分を手に入れる事が出来る、と。
やり方は、簡単です。いい加減な奴になって、完璧主義を捨てるんです。
不完璧主義者になるんですよ。普段、あなたが100点を目指しているなら、60点でもいいや、と思うこと。
この仕事は自分しか出来ない、と思っているなら、あえて、人に自分の仕事を頼むようにする。
「でも、それだと迷惑がかかるから!」と、思うかもしれない。
迷惑かかっていいじゃないですか?相手の迷惑をすぐに考えるあなたは、今まで相当、頑張って来た人だと思うんですよ。
だから、ちょっとぐらい休んだっていいんです、さぼってもいい!
どんどん人に助けてもらえばいいんですよ
「まぁ、いいか」と、思っちゃっていいんです
不完璧主義者は自分にも人にも優しくできる
つい最近、仲の良い友達がイライラして、僕に八つ当たりをして来る事がありました。
LINEでけっこう酷い事を書かれたんですけど、一瞬、ムカッとしただけで、今は全然、気にしてないんですよ。
突然、いい人アピールを始めたわけじゃありません(笑)
なぜ、全然、気にしないでいられるか?と言うと、僕が不完璧主義者だからなんです
僕もイライラした時に、つい人に八つ当たりをしてしまう時があります。
完璧じゃないから、当然ですね。だから、人、他者にも完璧を求めない。
自分も人に八つ当たりをしてしまう時があるから、人の八つ当たりも許す。
不完璧主義者になると、自分も許して人も許す事が出来るようになるんです。
どうですか?不完璧主義者のほうが楽でいいでしょ?
今まで完璧主義だった人は急に不完璧主義者になるのは難しいかもしれません。だったら、小さい事から始めてみましょう。
いつも待ち合わせ時間の15分前に到着していたなら、あえて待ち合わせ時間ギリギリに到着してみる
いつも聞いている頼みごとを、適当な理由をつけて断ってみる。
いろいろと試す事がみつかるはずです。ポイントは、いつも人の期待に答えていたことを答えないようにすること。
「ガッカリした」とか「期待してたのに」と、言われても無視すること。
「ごめんね、俺(私)、いいかげんで不完璧主義者だからさぁ」と、言ってあげましょう。
そもそも、人は自分の思うようにコントロールできないものです!
大丈夫、心配しないで。
不完璧主義者をやっていると、人、他者の不完璧な部分も許せるようになって行くから。
共に、不完璧主義者になってストレスを減らして行こうではないか?!
セックスや恋愛を承認のために使うということは、それってそもそも他者への愛じゃないし、性欲ですらないのか?!
by:JLStricklin
皆さんなら、タイトルの質問にどんなふうに答えます?
様々な答えがあると思います。
たとえば、こんな答え。
「どんな綺麗ごとを並べても、恋愛、セックスはそもそも承認を満たすためのものでしょ?!」
うん、うん、解ります。
あるいは、30代、40代のそれなりにいろいろ経験した人達は、こんな答え方をするかもしれない。
「お互いに承認している感覚、自覚があるか、ないか?が重要じゃないかなぁ?どちらかが一方的に承認欲求を満たしている状態は、暴力的だと思う。
そういうガキっぽい恋愛、セックスは20代の若い頃だけでいいっしょ!」
うん、うん、大人の意見で素敵ですね。
僕は、答えは様々あっていいと思うんです。ただ、タイトルに書いた質問って、あなたや僕が異性(別に異性じゃなくても、同性でもいい)と向き合って行くうえで、つねに自分に問い質したほうがいい質問じゃないか、と思うんですよ。
もしかしたら、タイトルの質問を見て、「えっ?承認を満たさないで、楽しめるコミュニケーション、恋愛、セックスってあるの?」と、始めて疑問に思った人がいるかもしれませんね。
そんなふうに疑問に思う事自体に意味があります。
この記事を読んでいるのも何かのご縁です。
ぜひ、あなたなりの答えをこの記事を読みながら考えてみて♪
承認欲求と貧困問題
そもそも貧困問題解決を考える当ブログが何で恋愛、セックスを語るの?関係あるの?、と疑問に思った人がいるかもしれません。
お答えしましょう。大ありです!
男でも女でも、仕事や恋愛で疲れた時、湧き上がって来る想いは以下の感情じゃないでしょうか?
「あぁ~、誰か一人でもいい!、自分の事をちゃんと承認してくれる人、解ってくれる人はいないの?そういう人が一人でもいてくれれば、私は他のすべてのモノを捨ててもいいよ!」
こんなふうに思った事はありませんか?
もちろん、実際には残酷な現実に直面して、「そんな人なんているわけないよねぇ・・・」と、日常の生活に引き戻されるわけですが・・・
まぁ、要するに、誰かに承認されているという実感が人の生きる力になって、その想いが自分を貧困に落とさないための抑止力になると考えているんですよ
たとえば、仕事が辛くなって辞めたくなった時、人間関係で嫌な事があって、ヤケになってしまいそうな時、自分を承認してくれる人が一人でもいればこんなふうに自分で自分に声をかける事ができる。
「でも、ここでヤケになったら、自分を承認してくれているあの人が悲しむぞぉ!しっかりしろ!」
だからこそ、僕ら、私たちはこの世で一番、承認や居場所を実感できるセックスや恋愛を真面目に考えてみる必要があるんです。
どうですか?納得した?強引?(笑)
テクニックを超えて行きたい!
今、「うわぁ~、俺(私)には、承認してくれる人なんていないよぉ~、悲しすぎる!」と、叫び出したくなっている人が大勢いるような気がします
でもね、ここで、「心配するな、あなたが承認欲求を満たすために、素敵な恋愛、セックスが出来るようになるための方法を伝授します」とは言いません(笑)
この展開で、そのまま「恋愛テクニック」を教えるパターンって、たくさんありますよね。
たとえば、LOVE理論、恋愛工学だったり、いろいろある。
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でも、今日は一歩進んで、そういうテクニックだったり、見た目の事だけに意識して得た「承認」って、最終的にむなしくなるだけなんじゃないの?っていう事について考えたいんです。
もっと言うと、相手を思いやるテクニック(技術)は必要だけど、形だけのテクニック(技術)に、いかにとらわれないでいられるか?という事を考えたいと思うんですよ
そもそも、タイトルにある質問がそういうテクニックを超えたものですもんね
人を支配することは楽しくない!
ここまで書いて、必ず、「うわぁ~、このオジサン無理してる!イタイ!」とか「きっと、モテないから、テクニックじゃないという事を言い訳にして逃げてるんだなぁ」と、思った人もいるでしょう。
それは、半分、正解(笑)。でも、半分は不正解です
なぜ、半分は不正解と自信を持って言えるのか?!
それは、テクニックって、結局、相手を支配するだけのものである事に気がついちゃったからなんですよ。
それは、僕が20代の頃に経験したある出来事が気づかせてくれました。
僕、20代の頃、女性といい雰囲気になって、何回かセックスするチャンスがあったんです。
でも、実はちゃんとセックスした経験よりも、勃たなかった経験のほうが多いんですよ
「おまえは、突然、何を言い出すんだ?!」と、思ったかもしれません(笑)
が、大事なところなので、しばらくお付き合いください。
で、「何であの時、勃たなかったんだろう?」って、34歳になった今になって改めて考えてみたんですね
考えてみた結果、出て来た答えは、「自分の攻撃性、支配的な感覚に気がついてしまって、自己嫌悪になってしまった。だから勃たなかったんじゃないか?!」というものだったんです。
これも、ちょっと説明させてください。
僕ら、男って、なにで性教育されるか?って言うと、AVだったり、エロ動画ですよね?
思い出してみてください。AVやエロ動画のストーリーって、だいたい、女性を支配したり、攻撃したりするパターンが多いでしょ?
だから、知らないうちに僕ら男の思考回路の中に、セックス=女性を支配すること、攻撃すること、という価値観が出来てしまったんじゃないか?と思うんです
そして、20代の頃の僕が勃たなかった理由は、そんな「女性を攻撃したり、支配したりしないと興奮できない自分が嫌になっちゃった」からだと思うんですよ。
これは、20代の頃じゃ解らないんです、単純に「勃たない俺は、男としてダメだ」と、落ち込んでいたので。
でも、そうじゃなくて、女性を支配したり、攻撃したりするセックスをしたくなかった。
だから、身体が反応して、不能になったんじゃないか?と推測するんですよ
頭では攻撃的、支配的だと思っていても、身体は別の反応をする。
こういう時は、頭よりも身体、五感の反応を信じたほうがいいんですよ。
質問をもう一度、考える!
ここで、もう一度、タイトルにある質問を考えてみましょう。
セックスや恋愛を承認のために使うということは、それってそもそも他者への愛じゃないし、性欲ですらないのか?!
う~ん、この質問がテーマが大きすぎて簡単に答えられませんね。
でも、今のところ言えるのは、僕が20代の頃に経験した事を考えると、セックスや恋愛を承認のために使うと、身体が先に嫌がるということ。
少なくとも、僕はそうだった。
いろいろ考えたけど、結局、答えらしい答えは出なかったように感じます。
なんか、まとまりの無い文章になってしまいました。
でも、30代、40代、50代になっても、タイトルの質問を考え続ける事によって、自分の中にほど良い節操が生まれる気がするんですよね。
ちなみに、タイトルの質問は、「日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない」という本の中で出て来た言葉です
僕らが考えたほうがいいテーマなので、ぜひ読んでみて♪
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共に、究極の質問を考え続けようではないか?!
注目するべき社会問題は、生活保護基準が低すぎる事だと思うたった一つの理由
7月10日(日)の選挙が近づいて来ました
皆さんは、もうどこに投票するか決めましたか?
「実はまだ迷っているんだよねぇ~」と、言う人もきっといる事でしょう。
では、なぜ迷ってしまうのか?それは、各党、各候補者がみんな似たような政策を言っているからですよね(笑)
たさくんある政策すべてに目を通して、判断して行くのは大変です。
そこで、私から提案があります。
自分の日常生活にある身近な問題一つに、目を向けてみてはいかがでしょうか?
全部が無理なら一つだけでいい。
その問題一つを解決してくれそうな政策に注目してみるんです
たとえば、この記事を読んでいる人が学生さんなら、奨学金の問題。
「大学を卒業したと同時に借金を背負うのって、あり得なくない?!」という不満を持っている人も多いはず。
だったら、学生、若者の将来、未来に各候補者がどんなビジョンを描いているか?に注目してみればいいんですよ
また、この記事を読んでいる人がサラリーマン、OLさんだったら、ブラック企業問題に注目してみるのもいいのではないでしょうか。
「こんなに働いているのに、給料少なすぎないか?!」
「毎日、上司に虐められて、パワハラに合っている、さすがに限界だ」
「同僚の男にセクハラされている。怖くて、辞めてくれ、と言えないでいる」
パワハラ、セクハラ、モラハラの問題。そして、ブラック企業問題。
これらの問題を候補者達がどう考えているのか?をチェックしてみればいいんです
まだまだありますよ。年金だけでは食べていけない高齢者の問題。子供の6人に1人は貧困状態であることの問題。数え上げれば切がない。
ここで、私の最も注目している身近な問題を発表しましょう。
貧困問題、中でも生活保護基準が低すぎる、という問題です。
なぜ生活保護基準の低さが僕の身近な問題なのか?ちょっと語らせてください。
生活保護基準が人の命を左右する
しかし、今、生活保護はとても使いにくい制度になってしまっています。
その原因は、生活保護基準が低すぎる事にあるんです。
生活保護基準は日本国内で「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な最低ラインを示す、という機能を持っています。
どういう事か説明するために、まずはNPO自立生活サポートセンター・もやい理事の稲葉剛さんが書いた「生活保護から考える」を引用したいと思います。
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もやいの事務所には、年間1000人近くの方が生活の相談に訪れます。
相談者の年齢層は、下は10代から上は80代までであり、私たちは一人ひとりの方の生活状況を聞き取り、必要に応じて生活保護などの公的サービスの申請支援を行っています。
特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい | もやいは、 自立をめざす生活困窮者の 新たな生活の再出発を お手伝いします。
こうした相談活動の中で私達が一番対応に苦慮するのは、生活保護がギリギリに受けられない低年金の高齢者の相談です。
(中略)春に相談にやって来た杉山典子さん(仮名、70歳)は、月10万円の年金をやりくりしながら、東京都内の老朽化したアパートで一人暮らしをしていました。
アパートは築50年以上が経過しており、家賃は月2万円。大家は老朽化したアパートを取り壊す意向を持っており、杉山さん以外の入居者はすでに退去。彼女自身も早く出て行ってほしいと言われている状態でした。
ところが、杉山さんは日々の暮らしを営むのにギリギリの年金額で生活しており、家族からの援助も見込めないため、引っ越しをするにもお金がありません。
(中略)私が考えたのは、生活保護を申請する事でした。
この点は誤解している方も多いのですが、預貯金などの資産がなく、収入が生活保護基準を下回っていれば、年金生活者でも生活保護を利用する事が出来ます。
(中略)生活保護基準は日本国内で「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な最低ラインを示す、という機能を持っています。
(中略)生活保護の基準は年齢、世帯の人数、地域によって変化するため、私は計算ソフトを使って計算してみました。
その結果、東京都内における70代単身者の生活保護基準(2012年)は、生活扶助が7万5770円。家賃は実費分しか出ないので、家賃2万円の場合、最低生活費は9万5770円となることがわかりました。
(中略)結局、月10万円の年金収入がある杉山さんは、収入オーバーで生活保護適応外になってしまう事が判明しました。
(中略)生活保護基準がさらに下がれば、彼女のような低年金の高齢者が「ギリギリで生活保護基準を上回る」とされて、生活保護制度から除外されてしまうケースが増えてしまいます。
さぁ、読んでみて、どうだったでしょうか?
きっと、「ええ!、生活保護って、そんなちょっとのオーバーで使えなくなっちゃうの?!ケチすぎるだろう!」と、思った方もいるでしょう。
僕も引用の文章を最初に読んだ時、同じように思いました。
また、同時に、「杉山さんは気の毒に思うけど、しょうがないよ、諦めるしかないんだよ」と、感じた若い読者の方がいるかもしれません。
しかし、本当にそうでしょうか?
引用の文章の最後にはこう書いてあります。
同様の問題は、働いていても生活保護以下の収入しかないワーキングプア層についても起こります
高齢者だけの問題ではないんです!
低収入でも生活保護が利用できない僕の仲間達
僕は30代で年収250万円代のフリーライター&ブロガーです。
そのため、お金持ちでリア充感100%の人達とは話しが合わないので、自然に周囲に集まって来る仲間は貧乏人が多いんですよ。
最近、女友達が経営している安いBARで飲んでいると、聞こえて来るのが引用文章で出て来たような生活保護基準をギリギリ上回る収入を得ているために、生活保護を利用できない事に対する嘆きの声です。
ギリギリ上回るというのがポイントですね
みんな月13万円とか14万円の月収で、本当にギリギリの生活をしているんですよ。
怠けているわけではありません。
全力で働きたくても働けない状態にあるわけです。
また、ウツや発達障害で悩む人達は、家族関係が悪く、家族に頼れない場合が多い。
頼りになるのは、出会ってきた仲間達だけなんです。
でも、生活保護基準をギリギリ上回っているため、生活保護を使えない。
そんな事を考えてみると、まさに、僕にとって、生活保護基準が低すぎる問題は、他人事ではないんですよ。
さぁ、どうだったでしょうか?ぜひ、皆さんも、自分の身近な問題を考えてみてください。
そして、選挙に行ってほしい。なぜなら、選挙に行って、一票をいれる事は、あなただけではなく、あなたと同じ事で苦しむ仲間達を助ける事になるからです。
共に仲間達を助けて行こうではないか?!