あれ?私って、うつ予備軍かも?と思う人へ、もっと生きる事に図々しくなろう!
どうも、脱貧困ブログ管理人、ケンタロウです。
突然ですが、なんか最近、自分のツイッタ―、フェイスブックを見ていて、思うんですよね
気分が落ち込んだり、うつっぽい友達、知り合いがとても多いぞぉ!って。
忙しさやプレッシャーでイライラして、身体の不調を訴えるツイートだったり、フェイスブック投稿を多く見かけるようになった気がするんです。
僕の友人、知り合いは非正規雇用だったり、ニートの人が多いので、自分の置かれた環境が嫌になったり、働いても収入が上がらない状態に落ち込んだりすると思うんですよ。
僕も例外ではありません。
自分の事をワーキングプアブロガーと言っているぐらいなので(笑)、なんだかんだで不安な時もあります。
でもね、僕は根が楽観的なので、なんとかなるんじゃないか、と思っているんです。
もちろん、根拠はありますよ。その根拠とは何か?
僕は、本当に精神的にズタボロになるまで追い込まれたら、生活保護に頼る気満々なんです!
生活保護に頼る覚悟をつねに持っている。それが僕がなんとかなる、と断言できる根拠です。
また、貧困状態の方を支援するNPOや団体をいくつか知っているので、本当に困ったら相談に行こうと思っているんですよ
今、これを読んでいる読者の中で、「自分はまだそこまでじゃないから・・」とか「いや、いや、生活保護に頼るのは、大袈裟でしょ!」と、思った人がいるかもしれません。
そういう人は、まだ大丈夫だから、この先を読む必要はありません。
しかし、ほんの少しでも、うつ予備軍という言葉にビクッと反応したり、「このまま行ったら生活保護に頼らなきゃいけないかも・・」と思った人は、まずは冷静になって次の言葉を胸に刻んでください。
生きることは無条件に肯定されるべきもの
「生存」は「褒美」であってはならないし、「許可制」であってもいけない。
というような理由から、私は自分や他人の「ダメ」なところを積極的に肯定しているのである。
この言葉は、作家、雨宮処凛さんの言葉です。
この言葉、当ブログにもたびたび登場しています。
何で何度も書きたくなっちゃうかと言うと、やっぱり大事な言葉だからなんですよ
とくに、ポイントは、自分や他人の「ダメ」なところを積極的に肯定している、という部分です。
今、生活保護利用者に対して、世間の目は厳しいかもしれません。
でも、だからって、同じように自分まで自分に厳しくする必要はないんです。
どうか、解ってほしい。まずは、生きること。話しはそれからです
当ブログに、たびたび登場する藤田孝則さんの『下流老人』という本があります。
その本の中に、こんな事が書いてあります。
何よりも、まずプライドを捨てよ
個人のプライドを捨てて、目に見えない制約から自由になる事が必要だ。
人様の世話にならない事が美徳だと思っている方は、その意識を変えてほしい。
社会福祉では、一般的に自立を「経済的にひとり立ちしていること」とは考えない。
そんな一面的な狭い範囲で自立を語らない。
そもそも、すべての人々が何かに依存し、それゆえに生活を維持出来ている、その「依存している部分がどこか」によって議論になったりならなかったりしているだけで、その内容は人それぞれだ。
たとえば、料理ができない夫は妻に依存している。会社の社長は社員に依存している。
(中略)依存せずに自立することなどあり得ない。依存しなければ社会生活などできるわけがない。
だから、「自立していないことが恥ずかしい」と考えること自体が、ある意味で傲慢であり、問題を複雑化している。
どうでしょうか?なかなか鋭い意見ですよね。
何よりも、まずプライドを捨てること。
僕たち、私たちはもっと生きる事に図々しくていいんです!
もはや、これは僕からのお願いです。どうか、どうか、忘れないでください。
共に生きる事に図々しくなって行こうではないか?!