人間は「価値があるから生きる」のではなく、「生き抜くことで価値が生まれる」
当ブログは脱貧困、貧困問題解決がテーマです。
そして、そのテーマの柱になっているのが、この記事のタイトルになっている言葉。
人間は「価値があるから生きる」のではなく、「生き抜くことで価値が生まれる」
これなんですよ
もっと言えば、たとえ、失敗続きでも、財産が無くても、特技も才能も無くても、地位や名誉が無くても、寿命が来るまで、最後まで生き抜く事に価値があるんです。
しかし、こんな事を言うと、必ず性格の悪い人達が、文句を言って来ます。
「はぁ?、そんなわけないだろう?、資本主義なんだから、非生産的な人間は価値が無いんだよ」
性格悪いですねぇ~(笑)
ただ、資本主義社会の中では、確かに正論です。
でも、その正論をすんなり受け入れると、どんどん恐ろしい世の中になって行きます。
その恐ろしい世の中の恐ろしさとは何か?
ちょっと、考えてみましょう。
相模原の事件を忘れるな
相模原障害者施設殺傷事件を覚えていますか?
きっと、「忘れる事は出来ませんよ」と、答える人がいるでしょう。
こんな事件でした。
ネットから引用してみましょう。
2016年7月26日未明に神奈川県相模原市緑区千木良にある神奈川県立の障害者福祉施設で発生した、刃物による大量殺傷事件である。同日中に19人の死亡が確認され、26人が重軽傷を負った。
これは、本当に悲惨な事件でした。そして、この事件にこそ、「人の価値を生産的かどうか」で判断する危険性が表れています。
つまり、人の価値を経済的に生産的かどうかで判断するという事は、今後、この事件の加害者と同じ発想の人が増えて行く、という事なんです。
あの事件の加害者は、「障害を持っている人達は、役に立たないので、排除したほうがいい」という思想を持っていた、と言います。
私は、その思想があの殺傷事件を起こす原動力になったのではないか、と思いました。
だからこそ、もっと、世の中に、人間は「価値があるから生きる」のではなく、「生きることそのものに価値がある」という考えが広まる必要がある、と思うんですよ
そうでなければ、ますます、相模原事件の加害者のような「経済的に非生産的な人間は消せばいい!」という考えが広まってしまう、と思うんです。
実際に、あの事件の加害者に共感する声もあった、と言います。
相模原・障害者施設殺人事件の犯人に共感の声?世の中が悪い方向へ | 歩叶コラム
それは、本当に恐ろしい事です。
私が訴える恐ろしさとは、こういう事なんですよ
どうでしょうか?ぜひ、じっくり考えてみてください。
共に、人間の価値を考えて行こうではないか?!