強さとは、喧嘩が強い事じゃない。強さとは自分ルールを持って、孤独を覚悟することです
昔、強さとは何か?を知る体験をしました。
それは、高校時代の出来事です。
私の卒業した高校は、勉強ができない人達が集まる場所でした。
もっとはっきり言えば、偏差値が低かったんです。
そのせいか、私の母校にはニートタイプかヤンキータイプしかいませんでした。
ですので、なんとなく想像できると思いますが、高校生活3年間、クラスには必ず虐められっ子がいたんです。
そして、なぜかは解らないんですが、私はニートタイプとヤンキータイプ、両方に好かれていて、担任の先生にその才能?を認められ、気がついたら3年間、学級委員をやらされるはめになっていました。
そんな事もあって、私はよく虐められっ子の相談を受けていたし、虐められっ子がいじめられている時、助けたりしていました。
いじめっ子グループとも仲が良かったので、助ける事が出来たわけです。
しかし、ある日、虐められっ子の態度が変わります。
「このままじゃ、無理だ、もう我慢の限界だ」と、言い出したんです。
虐められっ子がやった事は、とてもシンプルでした。
簡単に言ってしまえば、先手必勝です。
虐めっ子が近づいて来たら、先に殴りかかって、先生が止めに入って来るまで、とにかく暴れる。毎回、このパターンを繰り返したんです。
そうなると、いじめっ子も面倒くさくなって、虐められっ子に近づくのを辞めるようになりました。
これは、ある意味、いじめ脱出に成功した、という事です。
しかし、私は心配していました。
いじめ脱出に成功した事で、虐められっ子は自信を取り戻し、明らかに調子に乗っていました。
ニートタイプグループのボスにでもなったような態度で、「俺は強い」と思っているのが、はっきりと解りました。
しかし、私は、虐められっ子に忠告しました。
「おまえがやった事は強さじゃない、単純にやけになっただけだろ?」
自分ルールと孤独を覚悟すること
その時は、質問されませんでした。が、これを読んでいる方は、聞きたくなったかもしれません。
「じゃあ、あなたが考える、強さって何?」
お答えしましょう。二つあります。
一つは、自分ルールを持つこと。
二つ目は、孤独を覚悟すること、です。
一つ一つ、説明しましょう。
実は、一つ目と二つ目は連動しています。
学生時代、いじめにあった時、いじめられた時を思い返してみてください。
だいたい、仲間外れにされるのを怖がって、相手の顔色を必要以上に見ていませんでしたか?
なぜ、人の顔色を見るのか?、それは、いじめに合うのが怖いから、嫌われないように自己防衛している、からだと思うんです。
しかし、私は中学時代から気がついていました。
人に嫌われないように顔色を見る、その姿が一番、いじめの対象になるということ、を。
別に喧嘩に強いから、いじめに合わないわけではありません。
喧嘩に弱くても、いじめられない人はいました。
逆に言えば、喧嘩が強くないと、自分の意見が言えないなら、やっぱりその人は弱いんです。
喧嘩に弱かろうが強かろうが、どちらにしても、ちゃんと自分の意見を持っていること。
何が正しいと思って、何が間違いなのか、の自分なりのルールを持っていること。
それが、強さです。
そして、その強さは、孤独を覚悟しなければいけません。
自分の意見をはっきり言えば、ハブにされる可能性があるからです。
しかし、不思議な事に、孤独を覚悟して自分の意見を言うと、自然に仲間が集まって来るんです。
私の場合は、ニートグループとヤンキーグループ、両方に好かれるという怪奇現象が起きました笑
ちなみに、気になっている人がいると思うので、虐められっ子のその後をお伝えしておきましょう。
帰り道に待ち伏せされて、リンチにあいました。
教師がいない時を狙われたんです。虐められっ子は、入院する事になります。
そして、退院してから、私に媚を売るようになったんです。
その時、私は思いました。
「やっぱり、彼は強さって事を解ってない!」
さぁ、どうでしょうか?、皆さんには、自分ルールと孤独を覚悟する気持ちがありますか?
共に、本当の強さを身につけて行こうではないか?!