人は目標よりもメッセージを考えた方がいい理由
だいぶ遅れましたが、明けましておめでとうございます
脱貧困ブログ管理人、浅野(@billywilder8)でございます
今年もよろしくお願い致します
さて、おそらく皆さん、今年の目標、考えたでしょ?
あれね、辞めた方がいいですよ笑
えっ?、なぜかって?、よく言われる事ですが、目標達成出来なかった時のカウンターパンチがかなり痛いからです笑
自己嫌悪がハンパない
毎年、毎年、「あぁ~、今年も目標達成出来なかったぁ~」と、嘆き悲しんでると、精神的によろしくない。
こんな事を言うと、「気合いが足りないんだよ、本気を見せろ」と、根性論を押しつけて来たり、「じゃあ、目標を低くしましょう」とか言って来る人がいるかもしれない。
でもね、どちらの意見もあんまりパッとしない。だってさぁ、気合いでどうにもならなかっから、目標未達成なわけだし、目標を低くすると、そもそも達成感がない。
もぉ~、じゃあ、どうすりゃいいの?、と思った、その時、私、名案を思いつきました。
今年一年を通して、どうしても伝えたいメッセージを考える、という名案です。
「いや、そんなメッセージなんかねぇよ!」、と思った、そこのあなた、本当に無いですか?
じゃあさぁ、質問だけどさぁ?、自分のSNSとかブログとかに、日常の生活で味わった、ムカついた事、嬉しかった事、モヤモヤした事を投稿したりするでしょ?
あれだって、フォロワー、読者の皆さんに向けた立派なメッセージなんじゃないの?
「会社の上司、マジでくそ、あんなのでよく先輩面出来るよなぁ~」的なつぶやきをしたら、その愚痴には、「どうしてこんなにたくさん上司の事で悩むサラリーマン、OLがいるのかね?、やっぱり俺(私)達の働き方っておかしくない?」っていう問題提起という名のメッセージになってるんですよ
自分が伝えたいメッセージは日々の怒り、喜びの中にすでに存在していて、その存在に気がついてないだけだったりする。
だったら、自分の中に隠れているメッセージを表に出して、そのメッセージをどれだけの人に伝えられるか?、を目標にしたらいい。
それは、つまり、目標をわざわざ考えるよりも、世の中、社会に伝えたいメッセージを考えたほうが自然だし、ワクワクするんじゃないか、ということ。
ちなみに、僕が一年を通して、伝えたいメッセージを以下の2つです
その1・経済的に役に立たなくても死ぬことはない!
僕がこのブログでテーマにしている脱貧困、反貧困の想いは、すべて「経済的に役に立たなくても死ぬことはない」というメッセージに集約される、と思っているんです
もっと言うと、「経済的に役に立たないからって、死を選ばなくてもいい」と言ったほうが正確かもしれない。
そんなのは、当たり前だろ!、とツッコミたくなったかもしれないけど、でも、本当に当たり前だと思えてますか?
僕らは、この社会の中に生きていく中で、「自分は何の役に立っているのか?」という事に囚われすぎだと思う。そして、何より恐ろしいのは、自分が日々、経済的に役に立つ人でなければいけない、という名の悪霊に憑依されている事に気づいてない人が多いって事なんですよ
だから、これほどまでに「生きづらさ」を抱えている人達が多いんじゃないでしょうか?
生存は、許可制であってはいけないし、褒美であってもいけない。
生存とは、無条件に肯定されるべきものである。
このメッセージを今年も発信して行きたいと思います。
その2・人生に勝ち負けはない
社会の面白さって言うのは、勝ち負けがない所だと思うんです
いや、金持ってる人と貧乏人がいて、勝ち負けがあるんじゃん!、と思う人がいるかもしれない
でもさぁ、金持っている人は持っている人で、けっこう大変そうじゃないですか?
確か、「バカの壁」で有名な養老さんがこんな事を言ってたんですよ
「人生レースは、先頭を走ってれば安泰ってわけじゃない。先頭を走ってたが故に、事故にあったりして、逆に後ろを走っていたから命拾いしたって事があるんだよ」
これ、その通りだなと思うんです
よくテレビのニュースで、一流企業に入った社員が過労死したり、一流大学に入った学生さん達が調子に乗りすぎて、犯罪に手を染めたりする事件を目にしたりしますよね
ああいう事件なんかも、ある意味、トップを走って来てしまった人達の歪みなんじゃないか、と思う事もあるんですよ
どこかで、「ゆっくりでもいいや」と思えたら、途中で立ち止まる事が出来たんじゃないかって。
そんな事を考えると、「人生に勝ち負け」はない。勝ち負けを自分で作ってしまっているだけだよって思うんです。
さぁ、皆さんのメッセージは何でしょうか?
共に、メッセージを発信して行こうではないか?!