知らないと絶対に損する、イケハヤ流『社会人になれなくても、恐れない方法』上級編
さて、三回にわたって、お送りして来ました、「非難、悪口(炎上)を気にしない、恐れない技術」シリーズ。
今回で最後、上級編です。
今回もイケダハヤトさんの『なぜ僕は炎上を恐れないのか?』を参考書にして、お送りします。
実は、この本で一番、好きな章があるんです。
それは、「社会人って言葉、気持ち悪くないですか?」という問いについて、考えている第七章。
この問いは、「よくぞ、言ってくださいました!」と握手したいぐらい、自分が人生の中で考えて来た問いなんです。
僕は、昔、「自分は社会人に向いてないかもしれない」と思っていました。
それが、32歳になった今、はっきりと「僕は社会人になれない」と断言出来てしまいます。
1、満員電車に乗ると気分が悪くなる。
2、自分が不器用なので、同じように不器用な人に対する感情移入が半端ない。
3、命令されるのが苦手、というより地獄のように感じる。
3つとも、ある意味、社会人にとって必要な要素なのではないでしょうか。
社会人とは、会社のために満員電車に乗ること。
自分と同じような人に会っても、めんどくさい問題が起きるのを避けて、深いコミュニケーションをしないこと。
命令されるのが苦手でも、地獄のように感じても、ニコニコ笑って命令通りに従わなければならないこと。
3つの条件にあてはまらない僕は、社会人不適合者です。
1と3は、ちょっと我慢すれば、出来ると思うんですが、2だけはどうしても出来ない。
たとえば、あなたの会社でパワハラ、いじめを受けている人がいたとします。
僕はパワハラ、いじめを無くすために、仕事そっちのけで、上司や会社の上層部に報告してしまうでしょう(笑)
なぜなら、自分もパワハラ、いじめを受ける側の人間だと思っているからです。
もしかしたら、自分がパワハラ、いじめを受けていたかもしれない、と解っていながら、「自分じゃなくて良かった」と思い、見て見ぬふりするのは嫌です。
どうしても、我慢できない。
パワハラ、いじめを密告した事で、同僚から恨まれて一人ぼっちになったとしても、僕は報告してしまうタイプなんです。
むしろ、「パワハラ、いじめを報告して、いなくなる友達なんていらねぇよ!」という、めんどくさい奴なんですよ。
今、「さては、こいつ、友達いないな!」と思ったんじゃないですか?
正確です、そんなにいません(笑)、でも、それでいいと思っているんですよ。
もっと言うと、「あなたの周りにいる友達は、本当に友達か?」と、逆に質問したいぐらいなんです。
あの、社会で生きるうえでの右なら右、左なら左を向いてなきゃいけない空気感がめちゃくちゃ気持ち悪いと思って来ました。
以下、本文からの引用です。
『ぼくがプロブロガーとして抱えている問題意識のひとつは、多くの社会人が自分を偽らざる得ない状況の中で、生きてしまっていることです。
ぼくは社会人という言葉が嫌いです。
(中略)というのも、社会人という言葉には、なかば暗黙了解的に社会が求めるように、自分を改変し、偽る事ができるようになる人間というニュアンスがこめられているように感じられるからです。
逆に言えば、空気を読まず、自分を貫くわがままな人間を、社会は社会人と呼ばないと思うのです』
これも、「よくぞ言ってくれました!」という感じです。
本当にそうですよね、社会人という言葉、どうしても馴染めません。
ただ、ここで注意しなければいけない事があります。
それは、「パワハラをして来た奴ら、いじめをして来た奴らに、たっぷり復讐してやるぜ!」と、犯罪に走ってはいけないという事なんです。
べつに、急に道徳を論ずるつもりはありませんよ。
これについても、本文を引用します。
『ぼくが導入している回路は二つ。
一つ目は個人を攻撃するのではなく、仕組みを批判することです。
何か許せない相手がいる時は、その人個人を直接攻撃することはやめましょう。
そうではなく、その相手がなぜそういう行為に手を出してしまったか?を考え、そこにあるシステム的な問題を観察しましょう』
うん、いいですね。
そこに、パワハラやいじめが起きているのなら、起きてしまったシステム的な問題を探して行く。
もしかしたら、行き過ぎた成果主義がパワハラやいじめを生んでいるのかもしれない。
だったら、見直すべきなのは、成果主義という社会のしくみです。
そんなふうに、しくみの問題を表舞台に出して行くことが重要なんですね
二つ目に行きましょう。
『もうひとつの回路は、批判するときは、問題解決のために自分も行動するというものです。
人間がつい陥ってしまうのは、批判だけして解決策は考えない、正論は言うけど、行動はしないという立場です。
この会社のここは間違っている、いまの社会のここがおかしい、という正論をいうことは、簡単ですし、気持ちがいいことです
しかし、世の中を良くして行くためには、正論だけでは不十分です。
正論を吐き、何かを批判するのなら、同時に自分自身が金銭的、精神的、時間的なコストを支払い、批判対象が抱える問題を解決するための行動を取る必要があるのです。
これはおかしい!と声を上げる人は、そのおかしさを自らの手で解決するために努力する責務があるとすら、僕は考えています。
会社がおかしいと思うのなら、あなたの手でそれを変えましょう』
うん、うん、激しく同意。
なんだかワクワクして来ますね。
ちなみに、当ブログは、貧困問題の解決に役立つものでありたいと思っているので、管理人が自ら取材に出かけ、問題解決の糸口を探って行く事が重要だと思っています。
今後とも、よろしく、どうぞ