脱貧困ブログ

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優しさは弱さじゃないと思ったほうが良いたった一つの理由

ちょっと前に、ぼくら社ブログの古越さんが面白いテーマで記事を書いていたので、自分も書いてみようと思います。

ズバリ、優しさは弱さではないか?という問いがテーマです。

まずは、古越さんの記事を読んでみてください。

 

古越さんの記事、ジーンと心に響きますよね。

それは、最後に『でも、僕は思います。やっぱりそれは、弱さではなく優しさと呼ぶものではないか』と言ってくれたからだと思うんです。

僕も同感です。

 

優しさは如何なる時も弱さじゃないと思うんです。

と言うか、僕は、優しさを弱さと思わないほうが世の中にとって良いと思うんですよ

おそらく、『誰かの顔色を伺ったり、誰かと争うのが嫌だから、優しくしてるんでしょ?それはやっぱり弱さじゃん!』と、思う人がほとんどでしょう。

でも、それは危険な思想です。

どういう事か、ご説明しましょう。

 

優しさを弱さと思う事から犯罪がはじまる!

 

想像してみてください。

困った人を助けようとしたり、他者の幸せを考える人が損をするとどうなるか?

『人に優しくしたのに、何で自分がこんな目に合うんだろう!』

『優しくして、人に嫌われるんだったら、優しくしないほうがいい!』

 

そんなふうに思って、人に優しくする事を辞めてしまうと思うんです。

もっと最悪なのは、ヤケになって犯罪に走ること。

 

優しくして損をするなら、自分も優しい奴を騙す側になればいいと思ってしまうんです。

歴史に名を残す犯罪というのは、こういった構造があるのではないでしょうか。

 

優しい人は、不器用かもしれません。

でも、その優しさを見守って行ったほうが世の中のためになる

優しい人がヤケにならないように。

 

人に優しくする時に見返りを求めるんじゃねぇと思うあなたへ

 

こんな事を書くと、必ず、『そっちが勝手に優しくして来たんだろう?見返りを求めるなら、優しくするんじゃねぇよ!』と言ってくる人がいます。

これについても、しっかり説明したほうがいいでしょうね

 

確かに、誰かに頼まれて、雇われて、優しくしたわけじゃないでしょう。

でも、かなり信仰心があるクリスチャンとかガチのお坊さんとか、そういった人でなければ、人に見返りを求めずに優しくするのって難しいですよ(笑)

みんな、心のどこかで「ありがとう」や「感謝してるよ」という言葉を期待してしまうのではないでしょうか。

それに、誰かに思わず優しくされて、それによって救われた事があなたにもあるでしょう?

べつに、大きなお返しじゃなくてもいいと思うんです。

一言、お礼の言葉が返って来るだけで、だいぶ救われると思うんですよ。

こんな事を書いていると、貧困ビジネスの連中に狙われるだろうか(笑)

 

でも、本当に思うんだからしょうがない。

要するに、僕の言いたい事は一つだけです。

 

優しい人を責める事と犯罪者をつくる事は奥の部分で繋がっている。

だったら、優しい人達に少しでいいから寛容になろう!

それが自分達が住んでいる場所、社会、国にとって、良い環境づくりになると思うんです。

 

なんか普通の事を書いてしまった(笑)

 

まとめ

O優しい事を弱さと考えないほうが世の中のためです

O優しい人を守る事は自分のためになっている