貧困問題解決を国に期待する事を諦めちゃいけない理由
最近、貧困問題をテーマにしたWEBサイトの記事やブログ記事を多く見かけるようになりました。
当ブログは貧困問題をテーマにしています。素直に言って、多くのWEBライターやブロガーの皆さんが貧困問題を記事にしてくれるのは、本当に嬉しい。
ライターやブロガーの皆さんが貧困問題の記事を書けば書くほど、「貧困の可視化」が進むと思っているので、ぜひ、どんどん書いて行ってほしいと思っています。
ですが、一つだけ気がかりがあるんです。
それは、一部のWEBライターやブロガーの皆さんは、国(政府)に貧困問題解決を期待していない、求めていないという事なんですよ。
個人の力で解決するしかないと考えている。もしくは、国(政府)に貧困問題解決を期待するという意見は、左派、リベラルの戯言(たわごと)として片づけてしまっている、ように思うんです。
しかし、それは大きな間違いなんですよ
もちろん、国(政府)が簡単に変わるとは思っていません。とても難しい。
ですが、だからって、諦めるわけにはいかない。
なぜ諦めるわけにはいかないのか?。今日は、その理由をガッツリ話して行きたいと思います。
個人の力だけでは解決できない
簡単に言ってしまえば、個人の力だけで貧困を解決するのは限界があるからです。
当ブログで何度もお伝えして来ましたが、貧困と貧乏は違います。
貧困と貧乏は違います!当ブログは貧困は否定していますが、貧乏は肯定しています! - 脱貧困ブログ
貧乏は周囲の友達、家族の協力を得ながら、または環境や考え方を変える事によって、なんとか生きて行く事が出来ます。
しかし、貧困はその周囲の友達や頼れる家族がいない状態である、と私は考えているんです。まさに、何もない状態が貧困と言っていいでしょう。
だから、国(政府)に貧困問題解決を期待しない、求めないという態度は、そもそも、貧困に対する認識が甘いと言わざる得ない。私はそんなふうに考えています。
国(政府)に変化を求めるしかない
とは言え、国(政府)が簡単に変わってくれるとは思っていません。
ですので、自分でやれる事はやらなきゃいけない。
しかし、私は自己責任は50%でいいと思っているんです。
どんな出来事も自分で100%引き受ける事は出来ないんですよ
ちょっと、そのへんも説明しておきましょう。
想像してみてください。
二十代後半の女性、田中(仮名)さんの場合。
田中さんは親との仲が悪く、人とのコミュニケ―ションがあまり上手くない。
なので、いろいろ考えた結果、彼女は人となるべく関わらなくてもいいと思えるWEB系、IT系の会社に就職しました。
しかし、入った会社は地獄のような場所でした。サービス残業、パワハラ、セクハラなどの被害に合い、ついに、うつになり、会社を辞める事になってしまったんです。
田中さんは親と絶縁状態で友達もいないので、頼れる人がいません。そこで、生活保護を利用する事になりました。
読んでみて、どんな感想を持ったでしょうか?
彼女は、これから、やっていかなければいけない事がいくつかあります。
まず一つ目は、うつの治療です。そして、うつが治って来たら、もう一度、仕事を探しに行く事になるでしょう。
しかし、この仕事探しが大きな問題になります。
なぜなら、次に就職した会社がまたブラック企業かもしれない可能性があるからです。
わかりますか?、世の中に、ブラック企業が蔓延しているのは、田中さんの責任じゃない。
間違いなく、労働法を守らない会社の責任だし、その会社を監督できない国(政府)の責任なんですよ
さきほど、自己責任は50%でいいと言いました。100%は無理だ、と。
田中さんの場合で考えてみましょう。
田中さんは、生活保護を利用して、うつの治療をして、再び仕事を探そうとしています。
これは、彼女が自分の責任として、努力した証しです。彼女はこの時点で、自己責任を50%引き受けています。
しかし、残った50%は誰が引き受けるんでしょうか?
そうです、国(政府)です。
国(政府)が責任を持って、ブラック企業が生まれない社会のしくみ、政策を作っていかなければいけないんですよ。
そして、国(政府)に社会のしくみが変わる事を呼びかけるために必要なのは、国民、一人一人の声。まさに、この記事を読んでいる皆さん、一人一人の声なんです。
だから、だからこそ、貧困問題解決を国(政府)に期待できない、求めない、なんて言っちゃいけない。
それは、田中さんに「もう一度、ブラック企業に入って、うつになってください」と、言っている事とほぼ同じになってしまうんです。
よくよく考えてみてください。
共に、貧困が無い世の中にして行こうではないか?!