お金を稼ぐのが下手な人へ、お手伝いの重要性を理解しよう
昨日、プロブロガー・イケダハヤトさんがこんな事をつぶやいていました
お金を稼ぐこと、すなわち価値を生み出すことは、「生きる値打ち」を実感することにつながる。お金を稼ぐことが苦手なら、世の中に何らかの価値を生み出すことにチャレンジすると幸せになりやすいと思う。それは難しい話ではなく。
— イケダハヤト (@IHayato) 2016年12月19日
すごく興味深い。
とくに「お金を稼ぐことが苦手なら、世の中に何らかの価値を生み出すことにチャレンジすると幸せになりやすいと思う」という部分に注目しました。
これは、ある意味、当ブログのテーマである貧困問題についてのつぶやきだ、と思うんです。
なぜなら、お金を稼ぐことが苦手な人は、貧困状態になってしまう危険性があるから。
なので、イケダさんのつぶやきの意味をじっくり考えてみる事にしました。
お手伝いは生きる意味になる
最初、このつぶやきを読んだ時、ソーシャルビジネスの事かな?、と思いました。
ソーシャルビジネスとは、「社会問題(育児、介護、うつ、ブラック企業、貧困)を解決しながら、ビジネスとして成立させていく働き方」です
私は、イケダさんの言う「何らかの価値」とは、社会問題を解決する事だ、と考えたわけです
正直、ソーシャルビジネスは、お金儲けは出来ませんが、とても価値のある事です。
そこで、思い切って、イケダさんに質問してみました
@IHayato イケダさん、お久しぶりです、脱貧困ブログの浅野です、質問があります。『世の中に何らかの価値を生み出す』とは、簡単に言うと、ソーシャルビジネスの事でしょうか?
— 浅野健太郎 (@billywilder8) 2016年12月19日
こんな答えが返って来ました。
ソーシャルビジネスまで行かずとも、薪を割るとか耕作放棄地を使うとか、そういうことで十分だと思います!まさに価値を生み出して、誰かの役に立つわけですから。 https://t.co/zjDDFFBQe2
— イケダハヤト (@IHayato) 2016年12月19日
なるほどですよね
この感覚は、簡単に言うと、お手伝いをするという事です。
やっぱり東京にいると、誰かを手伝う事には、たとえお金にならなくても意義がある、という事を忘れてしまいます。
薪を割るとか耕作放棄地を使う事が価値を生み、誰かの役に立つという感性は、高知(地方)にいるイケダさんならではの感覚ですね。
地方ならではの「誰かの手伝いをすることで役に立っている実感を味わう」という感覚は、東京にいる我々も身につけなければいけません。
ちょっと説明しましょう。
単職から多職へ
お手伝いの感覚を説明するには、岡田斗司夫さんの『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』という本を読むとよく解ります
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ちょっと引用してみましょう。
これからの生き残り策は、崩れつつある単職になんとか自分だけ潜り込むことではなく、多職へとシフトすることにあります。
たった一つの仕事から、少なくとも10の仕事を持つ。
僕は、出来れば、50種類と考えています。50種類ぐらい仕事をしていれば大丈夫。
(中略)50種類も同時にできるような仕事って、はたして「職」と呼べるものなの?
たしかに、その多くは「職」とは呼べないものなんじゃないかな、と思います。お金になる時もあれば、ならない時もある。
赤字か黒字かという経営の話しだけでありません。
そもそも対価としてお金を貰う事もなく、お礼にちょっとした品を貰うだけ、奢ってもらって終わり、なんて事もあるでしょう。
こういうものを僕は「お手伝い」と呼んでいます。
お手伝いをいっぱいする。次々とする。お手伝い(=仕事)のサーフィンです。
仕事サーフィンこそが「多職」の正体なのです。
どうでしょうか?、この岡田さんが言っている『お手伝い』の感覚こそが、イケダさんがつぶやいていた「世の中になんらかの価値を生み出す」という事なのではないでしょうか?
お金を稼ぐ事が下手な人が増えて行く世の中です。
だからこそ、共にお手伝いをして、世の中になんらかの価値を生み出して行こうではないか?