見た事を見なかった事にしないために、貧困問題を追いかけている
当ブログは3年間、貧困問題をテーマにして来ました。
ですので、時々、人に聞かれる事があるんです。
「なぜ未だに貧困問題をテーマにブログを書き続けているんですか?」
理由は、いくつかあります。が、一番の理由は、貧困問題がこの社会にある事を見てしまったから、というものなんです。
どういう事か?、説明しましょう
あなたは何を見ましたか?
これからする物語を、ちょっと想像してみてください。
あなたは今、恋人とレストランで食事をしています。
とても豪華なお店で、あなた達も周囲のお客さん達もとてもおしゃれでリア充感満載です。
そんな楽しいひとときを過ごしていた、その時、あなたは何気なく外に目を向けます。
外は雪が降っていました。外にいる通行人達は、足早に建物の中に入って行く。
ところが、一人だけ道端にしゃがんで、動かないでぶるぶる震えている中年の男がいる事に気づきます。
ホームレスのおじさんです。
さぁ、どうします?
もちろん、気にしないで、引き続き恋人と楽しく食事する事を選ぶ人が多いでしょう。
べつに、それを批判するつもりはありません。
しかし、私は見た事を見なかった事に出来ないめんどくさい男なんです。
私は、ホームレスのおじさんが本当にヤバそうだったら、レストランを出て声をかけるかもしれません。
せめて、雪があたらない場所まで案内するかもしれない。
これが、先ほど、未だに貧困問題をテーマにブログを書き続けるのか?という問いの答えなんです。
現代の貧困問題は、NPO団体や活動家の活躍により、少しずつ可視化されています。
貧困が確かにある事は証明済みです。
しかし、今度は可視化された、見えるようになった貧困を目をそらさないでちゃんと見る事が出来ているのか?、という新たな問題が浮上しているんですよ
これは、べつに、いい人アピールをしたいわけじゃありません。
単純に悔しいからなんです
見た事を見なかった事にするのは悔しい
悔しいとはどういう事か?
たとえば、あなたが学生時代、クラスメイトのAちゃんがいじめられているのを目撃した、とします。
ある時、担任教師に聞かれます。
「Aちゃんって、虐められてるのか?」
ここで、何と答えますか?、ちくるのがバレたら自分も虐められるから、嘘をつきますか?
「いいえ、虐められてませんよ」って言っちゃいます?
でも、それこそ、見た事を見なかった事にしたようで、なんか、めちゃくちゃ悔しくないですか?
誰に負けたとか周囲の問題と言うよりも、自分に負けた気がして悔しいんです
「おまえ、嘘ついてんじゃねぇよ、Aちゃんが虐められたの見たじゃねぇか?、だせぇことしてんじゃねぇよ!」と、自分に説教したくなるんですよ。
だからこそ、見てしまった貧困を見なかった事にしないために、こんなブログを書いているわけです。
皆さんはどうでしょうか?、何を見ましたか?、そして、見なかった事にしていませんか?
とは言え、大きな事は出来ません。みんな日頃の仕事があるでしょう。
だから、せめて、見続ける。見なかった事にしない。
共に、見た事を見たと言い続けて行こうではないか?!