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脱貧困ブログ

ひきこもり、ニート、うつ病、障害者、ネットカフェ難民、ホームレス、パワハラ、貧困状態の人を助ける情報を発信して行きます

貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想です!道徳感は役に立たない!

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@Tuncay

東洋経済オンラインで連載されているルポライター・鈴木大介さんの記事を読みました。 

toyokeizai.net

ちょっと長い記事ですが、僕らが今後、生きて行くうえで考えなければいけない問題提起が書かれているので、ぜひ読んでみてください。

さて、僕がこの記事を読んでみて思ったシンプルな感想は、以下の二つです。

「貧困問題を道徳感で語らないほうがいい!」

「貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想である」

この二つです。

 

「んっ?どうして道徳感じゃダメなの?何でかわいそうと思っちゃダメなの?貧困状態の人達は、苦しい想いをしているかわいそうな人達なんだから、道徳感で判断するのは正しいでしょ?」

もしかしたら、この記事を読んでいる方達は、こんなふうに思ったかもしれません。

 

でもね、それは危険な発想なんです。

今日は、鈴木さんが書いた記事を引用しながら、「なぜ、貧困問題を道徳感で語らないほうがいいのか?!」、「なぜ、貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想なのか?」を皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 

加害者の像を持つ貧困当事者

ルポライター・鈴木さんは、記事内でこんなふうに言っています。

貧困者とはそもそも「見るからにかわいそうで助けたくなるような人々ではなく」、その真の像が見えてくるまでに長い取材と記者と取材対象者との人間関係の構築が必要だ

 

きっと、この文を読んで、「見るからにかわいそうで助けたくなるような人々ではない」とは、どういう事なんだろう?と思った人もいるでしょう。

それについても、鈴木さんは説明しています。

 

当事者の中には社会や対人関係の中で濃厚な「加害者の像」を持つ者も少なくない。

「なんとか力になりたいんです」とアプローチした結果が、夜中にLINE100本とか、それで突き放したら「だましたな呪い殺してやる」の呪詛に転じたり、ふと気づいたら財布を持ってドロンだとかといったことは、貧困者支援の現場ではよくあること

 

貧困者支援の現場ではよくあること、という鈴木さんの言葉を聞いて、驚いた方もいる事でしょう。

しかし、事実です。僕も何度か貧困当事者を支援するNPO団体のボランティアとしてお手伝いをさせて頂いた事があります。が、そこで、当事者の方に逆ギレされたり、怒鳴られたりする体験を味わいました。

はっきり言って、正義感が強い人、道徳感が強い人は、鈴木さんが言うところの貧困当事者が持つ「加害者の像」を目の当たりにするとすぐに支援団体のボランティアを辞めてしまいます。

これはもう、驚くほどあっさり辞めちゃうんです。

なぜ、強い志を持って、正義感、道徳感を持った人達ほど、すぐにボランティアを辞めてしうのか?皆さん、解ります?

それは、正義感、道徳感を強く持った人達には、貧困当事者に対する確立されたイメージが出来あがっているからです。

そのイメージとは、こんな感じ。

 

二十歳の可愛いらしい女の子Aさん

Aさんはいい人なんだけど、生まれながらにある発達障害などの影響で、仕事が遅く、人間関係は上手くいかない。家族関係も悪い。

さらに、いい人が災いになって、多くの人から利用され騙され、心身ともにボロボロになっている。

それでも、いつもニコニコ愚痴を言わずに、キャバクラや風俗などをかけ持ちして働いている。

 

どうでしょうか?いい人なんだけど、というのがポイントです。

上に書いた可愛らしい女の子Aさんなら、皆さん、助けたいと思うでしょ?

「どうして、そんないい子がこんなひどい目に合わなければいけないんだぁ!」と、憤りを感じた事でしょう。

しかし、次に紹介する女の子ならどうでしょうか?

 

二十歳のブサイクで肥満体型な女の子Bさん

Bさんは生まれながらにある発達障害などが原因で、仕事が遅く、人間関係が上手く行かない。家族関係も悪い。

いつも愚痴ばかり言って、周囲の人達の悪口ばかり言っている。

時に、気の弱い友達を虐めたり、パシりにしたりして、ストレス解消している。

風俗で働いていたが、遅刻が多いためクビになり、今は路上で身体を売っている。

 

さぁ、どうでしょうか?

前に紹介した可愛らしい女の子Aさんと同じように助けたいと思いましたか?

きっと、「気の毒にとは思うけど、何でそんな人を助けなきゃいけないの?正直言うと、Bさん、ムカつく!」と、感じたと思います。

このポイントが、僕が「貧困問題を道徳感で語らないほうがいい!」と思う理由なんです。

 

道徳感は人を選別する

道徳感で貧困問題を語ると、Aさんはかわいそうだから助けるけど、Bさんはムカつくから知らないという事になってしまうんですよ

なぜなら、Bさんは道徳感から大きく外れる存在だからです

要するに、Bさんは気の毒だと思うけど、ムカつくからかわいそうじゃない存在なんですよね。

でも、それだと、この国の貧困問題を解決する道は永遠にみつからない。当然のことですね。

みんな、Aさんのような人ばかり注目するんだから。

 

とてもじゃないけど、かわいそうとは思えない貧困当事者がいる。

でも、本当に貧困問題をどうにかしたい思うなら、Aさんのような人だけじゃなく、Bさんのような人にも注目しなければいけないんです

僕が、「貧困問題を道徳感で語らないほうがいい!」、「貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想である」と訴えるのは、そんな理由があるからなんですよ!

かわいそうだから助けるは、逆に言えば、かわいそうだと思えない人は助けなくていいという事になってしまう

もう一度、言います。それは、危険な発想です。

鈴木さんはこの問題を『貧困問題の安易なコンテンツ化』として、さらに詳しく突っ込んで書いています。が、僕は読者の方々にまずは「かわいそう」から始まる貧困当事者への視線は危険である事を伝えるのが基本であると考え、こんな文章を書いてみました。

 

それにしても、鈴木さんの東洋経済オンラインの連載、勉強になるので、今後も引用させて頂きたいと思います。

共に、貧困問題を考えて行こうではないか?!