脱貧困ブログ

ひきこもり、ニート、うつ病、障害者、ネットカフェ難民、ホームレス、パワハラ、貧困状態の人を助ける情報を発信して行きます

世の中にはダサい批判、悪口とカッコイイ批判、悪口がある事を知っていますか?

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ネットって、昔から悪口、批判の倉庫ですよね

セミナー講師への批判、悪口、プロブロガーへの批判、悪口、政治家への批判、悪口、本当によくそこまで出て来るな、と思うほど批判、悪口に溢れています。

 

べつに、人間なんだから、たまに悪口、批判を言ってもいい。完璧ないい人になんかなれるわけがない。

しかし、僕は誰かに悪口、批判を言ったり、書いたりする前に一回、冷静になってみる必要があると思うんですよ。それは、なぜか?

それは、誰にどんな悪口、批判を言うかで、その人の価値観、学んで来たこと、人間性がはっきりと表現されてしまうと思うからです。

 

たとえば、ネットやブログ界では、よくプロブロガーが悪口、批判の標的にされます。

プロブロガーとは、グーグルアドセンスアフィリエイトなどで、稼いでいる人達の事ですね。

でも、そういったプロブロガー達への悪口、批判コメントを見てみると、ものすごく幼稚なものが多い。

あくまで、僕の意見ですが、「そんな事、べつにいいじゃん」とか「何でそんな事気にするの?あなたに直接、迷惑かけたわけじゃないでしょ?嫌なら読まなきゃいいのに」と、思っちゃうんですよ

まぁ、はっきり言って、悪口、批判する人達が、ダサい、カッコ悪いんですね。

 

でも、中には、思わず、「カッコイイなぁ~」と、感じてしまう批判、悪口もあります。

カッコイイと感じてしまう批判、悪口は何が違うのか?

いろいろありますが、今日はとっても大事なポイントを一つご紹介しましょう。

 

喧嘩を売るなら、強い奴に売る!

ブログを書いていると、たまに炎上する事があります。

まぁ、炎上するのは、べつにいい、しょうがない。でも、誰がどう見ても、うっかり失言を書いてしまって、炎上してしまったんだなぁ、と解る時があるんです。

要するに、炎上マーケティングと言われる、わざと炎上させてPVを稼ぐやり方じゃない。

たまたま、読む人がカチンと来る事を書いてしまって、炎上してしまったというパターンですね。

 

誰がどう見ても、わざと炎上させたわけじゃないのに、ブロガーも謝っているのに、「バカだ」とか「反省しろ!」とか「恥を知れ!」などの悪口、批判コメントを書く人達。

めちゃくちゃダサい!、カッコ悪い!

狙って炎上できるブロガーなんて、ほとんどいません。ですから、炎上してしまったブロガーのほとんどがうっかりミス、誤解なわけですよ。

僕に言わせれば、「うっかりミスにそんなに怒ったり、悪口、批判したりして、どんだけ人としての器が小さいの?」と、思っちゃうんです。

 

喧嘩を売るなら、強い奴に売れ!

失敗を気にして元気が無くなって、弱ってる人に対して、悪口、批判するんじゃなくて、すでに権力を持っている人、発言力のある人に対して悪口、批判したほうがカッコイイ!

もうすでに有名人になってしまって、その人に対して悪口、批判が言えなくなっている状態ってありますよね?

そういう有名人にこそ、批判、悪口が必要なんですよ。

勘違いしないでほしいのは、有名人だから悪口、批判していいという事ではありません。

「あの人は有名で、すごい人だから意見を言っちゃいけない」という雰囲気に呑み込まれちゃ行けないよ、という事です。

 

逆に言えば、世間で強い人と認識されている人のおかしいと思う点にツッコんだ悪口、批判はカッコイイという事ですね

喧嘩を売るなら、強い奴に売る!、このポイントを大事にしたいと思います。

 

僕が悪口、批判を言いたくなる時

「じゃあ、おまえが悪口、批判したくなるのは、どんな時なんだよ?!」と、聞きたくなった人がいるかもしれません。

お答えしましょう。貧困問題が原因で人が亡くなった時です。

 

たとえば、2012年、1月に札幌姉妹『孤立死』事件が起きました。

どんな事件だったのか?を説明するために、下の記事から引用してみましょう。

【北海道姉妹凍死】死の前に3回生活保護窓口訪れ、門前払いされていた | 日刊SPA!

 

札幌市白石区のマンションの一室で、遺体で発見された40代の姉妹は、生活保護申請が認められず窮乏を極めて亡くなった

姉の佐野湖末枝さん(42歳)は失業中で昨年末に病死(脳内血腫)しており、知的障害のある妹の恵さん(40歳)は姉の死後に凍死したとみられている。

料金滞納で電気・ガスも止められ、冷蔵庫の中は空っぽだった。

湖末枝さんは体調不良に苦しみながら就職活動や妹の世話をし、3度にわたって白石区役所に窮状を訴えていた。ところが、最後の頼みの綱の生活保護を受けることができなかったのだ。

 

どうでしょうか?この事件をもっと詳しく知りたい方は、以下の記事もお読みください

札幌姉妹「孤立死」事件。の巻‐雨宮処凛‐マガジン9

僕はこの事件を知った時、生活保護を申請させないようにした行政を激しく批判しました。

確か、当時、書いていたアメブロのブログに行政に対する批判記事を書いた記憶があります。

 

このように、僕は貧困問題が原因で人が亡くなった時、黙ってられません。

でも、それ以外であれば、たいがいの事はスルー出来ます。

それが僕の悪口、批判のボーダーラインなんです。

 

さぁ、この記事を読んでいるのも何かのご縁です。

ぜひ、あなたの悪口、批判のボーダーラインを考えてみてほしい。

共に、悪口、批判の質を上げて行こうではないか?!

ストレスを減らしたいなら知っておきたい不完璧主義者になる方法

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この社会に生きていると、ストレスが溜まりますよね?

学生さんなら勉強しなきゃ行けないし、クラスの人間関係に気を使わなきゃいけません。

そして、社会人なら、もちろん、仕事の悩みがあります。

 

仕事でいろいろなストレスが溜まって行く。

仕事の成績を気にしなきゃ行けないし、上司のよく解らない指導を笑顔で聞かなきゃいけないし、逆に後輩がいたら指導をしなきゃいけない。

朝から晩まで仕事の事を考え続けて、生活費を気にする日々。

こんな毎日を送っていたら、いつかうつ病になるんじゃないか?、と自分を自分で心配する人も多い事でしょう。

 

しかし、僕はそんな現代社会に生きていながら、なんだかんだ楽しく生きているんですよ

別に人が羨む生活をしているわけではありません。むしろ、僕は現代社会の基準で言うと、落ちこぼれ、もっとはっきり言えば、負け犬です。

ちょっと、ご説明しましょう。

 

いいかげんな奴になるとストレスが減る

僕は現在、34歳。一般的に34歳なら結婚していてもおかしくない年齢ですが、僕は未だ独身です。それどころか、6年間、彼女無し。年収200万円代の売れないフリーライター、というか、フリーターですね。

しかも、年収が低いがために、34歳でいながら実家暮らしをしている。もちろん、実家に家賃は払っていますが、実家暮らしである事に変わりはありません。

どうでしょうか?全力でカッコ悪い雰囲気を感じている人もいると思いますが、本人はそんなに悲観していません

 

「いや、もうちょっと悲観しろよ、いい歳をして何やってんだよ!いいかげんな奴だなぁ!」と、ツッコミたくなった人もいるでしょう。

しかし、僕は、そんな人に一言言いたい!

「なぜいいかげんな奴じゃダメなんですか?!いいかげんに生きる事が現代社会でストレスを減らす唯一の方法なのに!」

 

人生で最も大事な事は、いいかげんに生きる事です、と言ったら、あなたは怒るでしょうか?

では、そこで、考えてほしい。なぜ、そんなに怒るんですか?

べつに、僕が直接、あなたに迷惑をかけたわけじゃないのに、いいかげんに生きる事を薦めたら、どうして、そんなに怒るんです?

ズバリ、言います。

あなたが本当はやりたくない事、嫌な事を我慢して毎日、生きているからですよ

 

だから、やりたい事をやっている人、いいかげんなのに楽しそうにしている人、我慢しない人を見ると、ムカッとして、怒りたくなるんじゃないですか?

でもね、残念ながら、あなたのイライラ、ストレスを減らす方法は一つしかない。

それは、自分の中に眠っているいいかげんな奴を呼び起こすこと。不完璧主義者になる事なんですよ

 

しかし、あなたは、自分のストレスは自分をもっと完璧な人にする事でしか減らせないと思い込んでいる。

じゃあ、あなたが完璧になるのは、いつなんですか?

 

年収1000万円になったら完璧?容姿のいい異性と結婚したら完璧?一流の企業に就職したら完璧?

じゃあ、あなたは理想とする完璧な姿になるまで、いつも欲求不満で、イライラして、ストレスを溜めこんで人に八つ当たりして生きて行くんですか?!

僕は思うんです。人は今すぐ楽しい気分を手に入れる事が出来る、と。

 

やり方は、簡単です。いい加減な奴になって、完璧主義を捨てるんです。

不完璧主義者になるんですよ。普段、あなたが100点を目指しているなら、60点でもいいや、と思うこと。

この仕事は自分しか出来ない、と思っているなら、あえて、人に自分の仕事を頼むようにする。

「でも、それだと迷惑がかかるから!」と、思うかもしれない。

迷惑かかっていいじゃないですか?相手の迷惑をすぐに考えるあなたは、今まで相当、頑張って来た人だと思うんですよ。

だから、ちょっとぐらい休んだっていいんです、さぼってもいい!

 

どんどん人に助けてもらえばいいんですよ

「まぁ、いいか」と、思っちゃっていいんです

 

不完璧主義者は自分にも人にも優しくできる

つい最近、仲の良い友達がイライラして、僕に八つ当たりをして来る事がありました。

LINEでけっこう酷い事を書かれたんですけど、一瞬、ムカッとしただけで、今は全然、気にしてないんですよ。

突然、いい人アピールを始めたわけじゃありません(笑)

なぜ、全然、気にしないでいられるか?と言うと、僕が不完璧主義者だからなんです

僕もイライラした時に、つい人に八つ当たりをしてしまう時があります。

完璧じゃないから、当然ですね。だから、人、他者にも完璧を求めない。

 

自分も人に八つ当たりをしてしまう時があるから、人の八つ当たりも許す。

不完璧主義者になると、自分も許して人も許す事が出来るようになるんです。

どうですか?不完璧主義者のほうが楽でいいでしょ?

今まで完璧主義だった人は急に不完璧主義者になるのは難しいかもしれません。だったら、小さい事から始めてみましょう。

 

いつも待ち合わせ時間の15分前に到着していたなら、あえて待ち合わせ時間ギリギリに到着してみる

いつも聞いている頼みごとを、適当な理由をつけて断ってみる。

いろいろと試す事がみつかるはずです。ポイントは、いつも人の期待に答えていたことを答えないようにすること。

「ガッカリした」とか「期待してたのに」と、言われても無視すること。

「ごめんね、俺(私)、いいかげんで不完璧主義者だからさぁ」と、言ってあげましょう。

そもそも、人は自分の思うようにコントロールできないものです!

大丈夫、心配しないで。

不完璧主義者をやっていると、人、他者の不完璧な部分も許せるようになって行くから。

共に、不完璧主義者になってストレスを減らして行こうではないか?!

セックスや恋愛を承認のために使うということは、それってそもそも他者への愛じゃないし、性欲ですらないのか?!

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by:JLStricklin

皆さんなら、タイトルの質問にどんなふうに答えます?

様々な答えがあると思います。

たとえば、こんな答え。

 

「どんな綺麗ごとを並べても、恋愛、セックスはそもそも承認を満たすためのものでしょ?!」

うん、うん、解ります。

あるいは、30代、40代のそれなりにいろいろ経験した人達は、こんな答え方をするかもしれない。

「お互いに承認している感覚、自覚があるか、ないか?が重要じゃないかなぁ?どちらかが一方的に承認欲求を満たしている状態は、暴力的だと思う。

そういうガキっぽい恋愛、セックスは20代の若い頃だけでいいっしょ!」

うん、うん、大人の意見で素敵ですね。

 

僕は、答えは様々あっていいと思うんです。ただ、タイトルに書いた質問って、あなたや僕が異性(別に異性じゃなくても、同性でもいい)と向き合って行くうえで、つねに自分に問い質したほうがいい質問じゃないか、と思うんですよ。

もしかしたら、タイトルの質問を見て、「えっ?承認を満たさないで、楽しめるコミュニケーション、恋愛、セックスってあるの?」と、始めて疑問に思った人がいるかもしれませんね。

そんなふうに疑問に思う事自体に意味があります。

この記事を読んでいるのも何かのご縁です。

ぜひ、あなたなりの答えをこの記事を読みながら考えてみて♪

 

承認欲求と貧困問題

そもそも貧困問題解決を考える当ブログが何で恋愛、セックスを語るの?関係あるの?、と疑問に思った人がいるかもしれません。

お答えしましょう。大ありです!

男でも女でも、仕事や恋愛で疲れた時、湧き上がって来る想いは以下の感情じゃないでしょうか?

「あぁ~、誰か一人でもいい!、自分の事をちゃんと承認してくれる人、解ってくれる人はいないの?そういう人が一人でもいてくれれば、私は他のすべてのモノを捨ててもいいよ!」

こんなふうに思った事はありませんか?

もちろん、実際には残酷な現実に直面して、「そんな人なんているわけないよねぇ・・・」と、日常の生活に引き戻されるわけですが・・・

まぁ、要するに、誰かに承認されているという実感が人の生きる力になって、その想いが自分を貧困に落とさないための抑止力になると考えているんですよ

たとえば、仕事が辛くなって辞めたくなった時、人間関係で嫌な事があって、ヤケになってしまいそうな時、自分を承認してくれる人が一人でもいればこんなふうに自分で自分に声をかける事ができる。

「でも、ここでヤケになったら、自分を承認してくれているあの人が悲しむぞぉ!しっかりしろ!」

だからこそ、僕ら、私たちはこの世で一番、承認や居場所を実感できるセックスや恋愛を真面目に考えてみる必要があるんです

どうですか?納得した?強引?(笑)

 

テクニックを超えて行きたい!

今、「うわぁ~、俺(私)には、承認してくれる人なんていないよぉ~、悲しすぎる!」と、叫び出したくなっている人が大勢いるような気がします

でもね、ここで、「心配するな、あなたが承認欲求を満たすために、素敵な恋愛、セックスが出来るようになるための方法を伝授します」とは言いません(笑)

 

この展開で、そのまま「恋愛テクニック」を教えるパターンって、たくさんありますよね。

たとえば、LOVE理論、恋愛工学だったり、いろいろある。

LOVE理論

LOVE理論

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

 でも、今日は一歩進んで、そういうテクニックだったり、見た目の事だけに意識して得た「承認」って、最終的にむなしくなるだけなんじゃないの?っていう事について考えたいんです。

もっと言うと、相手を思いやるテクニック(技術)は必要だけど、形だけのテクニック(技術)に、いかにとらわれないでいられるか?という事を考えたいと思うんですよ

そもそも、タイトルにある質問がそういうテクニックを超えたものですもんね

 

人を支配することは楽しくない!

ここまで書いて、必ず、「うわぁ~、このオジサン無理してる!イタイ!」とか「きっと、モテないから、テクニックじゃないという事を言い訳にして逃げてるんだなぁ」と、思った人もいるでしょう。

それは、半分、正解(笑)。でも、半分は不正解です

 

なぜ、半分は不正解と自信を持って言えるのか?!

それは、テクニックって、結局、相手を支配するだけのものである事に気がついちゃったからなんですよ

それは、僕が20代の頃に経験したある出来事が気づかせてくれました。

 

僕、20代の頃、女性といい雰囲気になって、何回かセックスするチャンスがあったんです。

でも、実はちゃんとセックスした経験よりも、勃たなかった経験のほうが多いんですよ

「おまえは、突然、何を言い出すんだ?!」と、思ったかもしれません(笑)

が、大事なところなので、しばらくお付き合いください。

で、「何であの時、勃たなかったんだろう?」って、34歳になった今になって改めて考えてみたんですね

考えてみた結果、出て来た答えは、「自分の攻撃性、支配的な感覚に気がついてしまって、自己嫌悪になってしまった。だから勃たなかったんじゃないか?!」というものだったんです。

 

これも、ちょっと説明させてください。

僕ら、男って、なにで性教育されるか?って言うと、AVだったり、エロ動画ですよね?

思い出してみてください。AVやエロ動画のストーリーって、だいたい、女性を支配したり、攻撃したりするパターンが多いでしょ?

だから、知らないうちに僕ら男の思考回路の中に、セックス=女性を支配すること、攻撃すること、という価値観が出来てしまったんじゃないか?と思うんです

そして、20代の頃の僕が勃たなかった理由は、そんな「女性を攻撃したり、支配したりしないと興奮できない自分が嫌になっちゃった」からだと思うんですよ。

これは、20代の頃じゃ解らないんです、単純に「勃たない俺は、男としてダメだ」と、落ち込んでいたので。

でも、そうじゃなくて、女性を支配したり、攻撃したりするセックスをしたくなかった。

だから、身体が反応して、不能になったんじゃないか?と推測するんですよ

頭では攻撃的、支配的だと思っていても、身体は別の反応をする。

こういう時は、頭よりも身体、五感の反応を信じたほうがいいんですよ

 

質問をもう一度、考える!

ここで、もう一度、タイトルにある質問を考えてみましょう。

セックスや恋愛を承認のために使うということは、それってそもそも他者への愛じゃないし、性欲ですらないのか?!

 

う~ん、この質問がテーマが大きすぎて簡単に答えられませんね。

でも、今のところ言えるのは、僕が20代の頃に経験した事を考えると、セックスや恋愛を承認のために使うと、身体が先に嫌がるということ

少なくとも、僕はそうだった。

いろいろ考えたけど、結局、答えらしい答えは出なかったように感じます。

なんか、まとまりの無い文章になってしまいました。

でも、30代、40代、50代になっても、タイトルの質問を考え続ける事によって、自分の中にほど良い節操が生まれる気がするんですよね。

ちなみに、タイトルの質問は、「日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない」という本の中で出て来た言葉です

僕らが考えたほうがいいテーマなので、ぜひ読んでみて♪

共に、究極の質問を考え続けようではないか?!

注目するべき社会問題は、生活保護基準が低すぎる事だと思うたった一つの理由

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7月10日(日)の選挙が近づいて来ました

皆さんは、もうどこに投票するか決めましたか?

 

「実はまだ迷っているんだよねぇ~」と、言う人もきっといる事でしょう。

では、なぜ迷ってしまうのか?それは、各党、各候補者がみんな似たような政策を言っているからですよね(笑)

 

たさくんある政策すべてに目を通して、判断して行くのは大変です。

そこで、私から提案があります。

自分の日常生活にある身近な問題一つに、目を向けてみてはいかがでしょうか?

全部が無理なら一つだけでいい。

その問題一つを解決してくれそうな政策に注目してみるんです

 

たとえば、この記事を読んでいる人が学生さんなら、奨学金の問題。

「大学を卒業したと同時に借金を背負うのって、あり得なくない?!」という不満を持っている人も多いはず。

だったら、学生、若者の将来、未来に各候補者がどんなビジョンを描いているか?に注目してみればいいんですよ

 

また、この記事を読んでいる人がサラリーマン、OLさんだったら、ブラック企業問題に注目してみるのもいいのではないでしょうか。

「こんなに働いているのに、給料少なすぎないか?!」

「毎日、上司に虐められて、パワハラに合っている、さすがに限界だ」

「同僚の男にセクハラされている。怖くて、辞めてくれ、と言えないでいる」

 

パワハラ、セクハラ、モラハラの問題。そして、ブラック企業問題。

これらの問題を候補者達がどう考えているのか?をチェックしてみればいいんです

 

まだまだありますよ。年金だけでは食べていけない高齢者の問題。子供の6人に1人は貧困状態であることの問題。数え上げれば切がない。

 

ここで、私の最も注目している身近な問題を発表しましょう。

貧困問題、中でも生活保護基準が低すぎる、という問題です。

なぜ生活保護基準の低さが僕の身近な問題なのか?ちょっと語らせてください。

 

生活保護基準が人の命を左右する

最後のセーフティネットと言われる生活保護

しかし、今、生活保護はとても使いにくい制度になってしまっています。

その原因は、生活保護基準が低すぎる事にあるんです。

生活保護基準は日本国内で「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な最低ラインを示す、という機能を持っています

どういう事か説明するために、まずはNPO自立生活サポートセンター・もやい理事の稲葉剛さんが書いた生活保護から考える」を引用したいと思います。

生活保護から考える (岩波新書)

生活保護から考える (岩波新書)

 

 

もやいの事務所には、年間1000人近くの方が生活の相談に訪れます。

相談者の年齢層は、下は10代から上は80代までであり、私たちは一人ひとりの方の生活状況を聞き取り、必要に応じて生活保護などの公的サービスの申請支援を行っています。

特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい | もやいは、 自立をめざす生活困窮者の 新たな生活の再出発を お手伝いします。

 

こうした相談活動の中で私達が一番対応に苦慮するのは、生活保護がギリギリに受けられない低年金の高齢者の相談です

(中略)春に相談にやって来た杉山典子さん(仮名、70歳)は、月10万円の年金をやりくりしながら、東京都内の老朽化したアパートで一人暮らしをしていました。

アパートは築50年以上が経過しており、家賃は月2万円。大家は老朽化したアパートを取り壊す意向を持っており、杉山さん以外の入居者はすでに退去。彼女自身も早く出て行ってほしいと言われている状態でした。

 

ところが、杉山さんは日々の暮らしを営むのにギリギリの年金額で生活しており、家族からの援助も見込めないため、引っ越しをするにもお金がありません。

(中略)私が考えたのは、生活保護を申請する事でした。

この点は誤解している方も多いのですが、預貯金などの資産がなく、収入が生活保護基準を下回っていれば、年金生活者でも生活保護を利用する事が出来ます。

 

(中略)生活保護基準は日本国内で「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な最低ラインを示す、という機能を持っています。

(中略)生活保護の基準は年齢、世帯の人数、地域によって変化するため、私は計算ソフトを使って計算してみました。

その結果、東京都内における70代単身者の生活保護基準(2012年)は、生活扶助が7万5770円。家賃は実費分しか出ないので、家賃2万円の場合、最低生活費は9万5770円となることがわかりました。

 

(中略)結局、月10万円の年金収入がある杉山さんは、収入オーバーで生活保護適応外になってしまう事が判明しました。

(中略)生活保護基準がさらに下がれば、彼女のような低年金の高齢者が「ギリギリで生活保護基準を上回る」とされて、生活保護制度から除外されてしまうケースが増えてしまいます。

同様の問題は、働いていても生活保護以下の収入しないワーキングプア層についても起こります。

 

さぁ、読んでみて、どうだったでしょうか?

きっと、「ええ!、生活保護って、そんなちょっとのオーバーで使えなくなっちゃうの?!ケチすぎるだろう!」と、思った方もいるでしょう。

僕も引用の文章を最初に読んだ時、同じように思いました。

また、同時に、「杉山さんは気の毒に思うけど、しょうがないよ、諦めるしかないんだよ」と、感じた若い読者の方がいるかもしれません。

しかし、本当にそうでしょうか?

 

引用の文章の最後にはこう書いてあります。

同様の問題は、働いていても生活保護以下の収入しかないワーキングプア層についても起こります

高齢者だけの問題ではないんです!

 

低収入でも生活保護が利用できない僕の仲間達

僕は30代で年収250万円代のフリーライター&ブロガーです。

そのため、お金持ちでリア充感100%の人達とは話しが合わないので、自然に周囲に集まって来る仲間は貧乏人が多いんですよ。

最近、女友達が経営している安いBARで飲んでいると、聞こえて来るのが引用文章で出て来たような生活保護基準をギリギリ上回る収入を得ているために、生活保護を利用できない事に対する嘆きの声です。

 

ギリギリ上回るというのがポイントですね

みんな月13万円とか14万円の月収で、本当にギリギリの生活をしているんですよ。

怠けているわけではありません。

全力で働きたくても働けない状態にあるわけです。

また、ウツや発達障害で悩む人達は、家族関係が悪く、家族に頼れない場合が多い。

頼りになるのは、出会ってきた仲間達だけなんです。

でも、生活保護基準をギリギリ上回っているため、生活保護を使えない。

 

そんな事を考えてみると、まさに、僕にとって、生活保護基準が低すぎる問題は、他人事ではないんですよ。

さぁ、どうだったでしょうか?ぜひ、皆さんも、自分の身近な問題を考えてみてください。

そして、選挙に行ってほしい。なぜなら、選挙に行って、一票をいれる事は、あなただけではなく、あなたと同じ事で苦しむ仲間達を助ける事になるからです。

共に仲間達を助けて行こうではないか?!

貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想です!道徳感は役に立たない!

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@Tuncay

東洋経済オンラインで連載されているルポライター・鈴木大介さんの記事を読みました。 

toyokeizai.net

ちょっと長い記事ですが、僕らが今後、生きて行くうえで考えなければいけない問題提起が書かれているので、ぜひ読んでみてください。

さて、僕がこの記事を読んでみて思ったシンプルな感想は、以下の二つです。

「貧困問題を道徳感で語らないほうがいい!」

「貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想である」

この二つです。

 

「んっ?どうして道徳感じゃダメなの?何でかわいそうと思っちゃダメなの?貧困状態の人達は、苦しい想いをしているかわいそうな人達なんだから、道徳感で判断するのは正しいでしょ?」

もしかしたら、この記事を読んでいる方達は、こんなふうに思ったかもしれません。

 

でもね、それは危険な発想なんです。

今日は、鈴木さんが書いた記事を引用しながら、「なぜ、貧困問題を道徳感で語らないほうがいいのか?!」、「なぜ、貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想なのか?」を皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 

加害者の像を持つ貧困当事者

ルポライター・鈴木さんは、記事内でこんなふうに言っています。

貧困者とはそもそも「見るからにかわいそうで助けたくなるような人々ではなく」、その真の像が見えてくるまでに長い取材と記者と取材対象者との人間関係の構築が必要だ

 

きっと、この文を読んで、「見るからにかわいそうで助けたくなるような人々ではない」とは、どういう事なんだろう?と思った人もいるでしょう。

それについても、鈴木さんは説明しています。

 

当事者の中には社会や対人関係の中で濃厚な「加害者の像」を持つ者も少なくない。

「なんとか力になりたいんです」とアプローチした結果が、夜中にLINE100本とか、それで突き放したら「だましたな呪い殺してやる」の呪詛に転じたり、ふと気づいたら財布を持ってドロンだとかといったことは、貧困者支援の現場ではよくあること

 

貧困者支援の現場ではよくあること、という鈴木さんの言葉を聞いて、驚いた方もいる事でしょう。

しかし、事実です。僕も何度か貧困当事者を支援するNPO団体のボランティアとしてお手伝いをさせて頂いた事があります。が、そこで、当事者の方に逆ギレされたり、怒鳴られたりする体験を味わいました。

はっきり言って、正義感が強い人、道徳感が強い人は、鈴木さんが言うところの貧困当事者が持つ「加害者の像」を目の当たりにするとすぐに支援団体のボランティアを辞めてしまいます。

これはもう、驚くほどあっさり辞めちゃうんです。

なぜ、強い志を持って、正義感、道徳感を持った人達ほど、すぐにボランティアを辞めてしうのか?皆さん、解ります?

それは、正義感、道徳感を強く持った人達には、貧困当事者に対する確立されたイメージが出来あがっているからです。

そのイメージとは、こんな感じ。

 

二十歳の可愛いらしい女の子Aさん

Aさんはいい人なんだけど、生まれながらにある発達障害などの影響で、仕事が遅く、人間関係は上手くいかない。家族関係も悪い。

さらに、いい人が災いになって、多くの人から利用され騙され、心身ともにボロボロになっている。

それでも、いつもニコニコ愚痴を言わずに、キャバクラや風俗などをかけ持ちして働いている。

 

どうでしょうか?いい人なんだけど、というのがポイントです。

上に書いた可愛らしい女の子Aさんなら、皆さん、助けたいと思うでしょ?

「どうして、そんないい子がこんなひどい目に合わなければいけないんだぁ!」と、憤りを感じた事でしょう。

しかし、次に紹介する女の子ならどうでしょうか?

 

二十歳のブサイクで肥満体型な女の子Bさん

Bさんは生まれながらにある発達障害などが原因で、仕事が遅く、人間関係が上手く行かない。家族関係も悪い。

いつも愚痴ばかり言って、周囲の人達の悪口ばかり言っている。

時に、気の弱い友達を虐めたり、パシりにしたりして、ストレス解消している。

風俗で働いていたが、遅刻が多いためクビになり、今は路上で身体を売っている。

 

さぁ、どうでしょうか?

前に紹介した可愛らしい女の子Aさんと同じように助けたいと思いましたか?

きっと、「気の毒にとは思うけど、何でそんな人を助けなきゃいけないの?正直言うと、Bさん、ムカつく!」と、感じたと思います。

このポイントが、僕が「貧困問題を道徳感で語らないほうがいい!」と思う理由なんです。

 

道徳感は人を選別する

道徳感で貧困問題を語ると、Aさんはかわいそうだから助けるけど、Bさんはムカつくから知らないという事になってしまうんですよ

なぜなら、Bさんは道徳感から大きく外れる存在だからです

要するに、Bさんは気の毒だと思うけど、ムカつくからかわいそうじゃない存在なんですよね。

でも、それだと、この国の貧困問題を解決する道は永遠にみつからない。当然のことですね。

みんな、Aさんのような人ばかり注目するんだから。

 

とてもじゃないけど、かわいそうとは思えない貧困当事者がいる。

でも、本当に貧困問題をどうにかしたい思うなら、Aさんのような人だけじゃなく、Bさんのような人にも注目しなければいけないんです

僕が、「貧困問題を道徳感で語らないほうがいい!」、「貧困当事者をかわいそうだから助けると思うのは危険な発想である」と訴えるのは、そんな理由があるからなんですよ!

かわいそうだから助けるは、逆に言えば、かわいそうだと思えない人は助けなくていいという事になってしまう

もう一度、言います。それは、危険な発想です。

鈴木さんはこの問題を『貧困問題の安易なコンテンツ化』として、さらに詳しく突っ込んで書いています。が、僕は読者の方々にまずは「かわいそう」から始まる貧困当事者への視線は危険である事を伝えるのが基本であると考え、こんな文章を書いてみました。

 

それにしても、鈴木さんの東洋経済オンラインの連載、勉強になるので、今後も引用させて頂きたいと思います。

共に、貧困問題を考えて行こうではないか?!

自立とは、依存しない事じゃない!、自立とは、何に依存しているか理解する事です

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僕の友人には、中年ひきこもり、30代でもフリーターという人が多いんです。

彼ら、彼女らは年収が低いため、いつまでも実家に暮らしていたりします。

 

そのため、強いコンプレックスを抱えているんですよ。

彼ら、彼女らは、以下の愚痴、嘆きを頻繁につぶやくようになります。

「僕(私)は、何の能力もないダメ人間だ」

「いつまでも実家にいる自分は自立できない社会不適合者だぁ」

「どうせ面接に行っても落ちるだけだし、正直、働くのが怖い!」

 

要するに、自信がない。あまりにも長くひきこもっていたので、今さら社会に出て働くのは無理なんじゃないか、と思ってしまっている。

でもね、僕はそんな人に一言言いたい。それは、勝手な思い込みなんですよ、と。

 

実際に、会ってみると、ちゃんと自分の考えを持っているし、PCの知識だって豊富な人も多い。

そりゃ、大金持ちにはなれないかもしれないけど、ちゃんと税金を払って、家賃を払って暮らして行く事ぐらいは出来ると思うんですよ。

しかし、こっちが見たら普通に働けると思える人でも、必要以上に働く事を怖がっている。

なぜ、何でしょうか?皆さんは、この問題、どんなふうに考えてます?

 

僕はですね、こんなふうに考えてます。

きっと、長年、ひきこもったり、働く事を怖がったりしている人は、自立を勘違いしている、と。

どういう事か?解りますか?

ちょっと説明させてください

 

自立とは、依存先を意識すること

これは、会社で働いている正社員の人も勘違いしているかもしれません。

「自信満々に俺(私)は、自立している」と、宣言する人ほど自分が就職した会社に依存している事に気がついていないんです

もっと、はっきり言ってしまえば、本当の意味で、完全に誰にも頼らないで自立している人なんて、この世に1人も存在しないんですよ。みんな、意外にその事を忘れちゃっている。

 

たとえば、会社員は会社に依存している。

フリーランスでバリバリ働いている人だって、結局、頻繁に仕事を依頼してくれるクライアントがいたりして、その人に依存している。

プロブロガーだって、そうですよね。完全に、Googleに依存している(笑)

だって、そうでしょ?、自分の書いた記事を検索上位にするために工夫している時点で、間違いなくGoogleに依存しているわけですよ。

だから、自立する、大人になる、社会人になるって事は、ちゃんと自分が何に依存して生きているのか?を確認できる人になる事だと思うんです。

けして、何かに依存しないようになる事じゃない。むしろ、逆で、何に依存しているか確認する事が重要なんです。

 

もちろん、考え方を変えるだけで、一気に中年ひきこもりの問題が解決できるとは思えません。

しかし、自立に対する考え方を変えること。それが、一歩踏み出すために必要だと思えてならないんですよ、僕は。

そうすれば、働く事の恐怖を少しずつ取り除く事が出来ると思うんです

「依存してない人なんていないよ」というメッセージを自分にも他者にも送り続けたいと思います

 

自立とは依存先を増やすこと

皆さん、この言葉知ってますか?

新生児仮死の後遺症により脳性まひの障害を持つ熊谷晋一郎さんが言った言葉です。

熊谷さんは、インタビューでこんな事を言っています。

一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ

 

まさに、その通りですね。

僕は、熊谷さんのこの言葉をこんなふうに解釈しています。

人間は、何かに依存しないと生きていけない。だったら、依存先は多いほうがいい。一つの場所にいる事で安堵しないで、どんどんと依存先を増やして行こう!

 

自立とは、依存しない事だと勘違いしている人は、無意識に依存先を一つに絞ってしまいがちです

でも、それは逆に危険なこと。

共に、依存先を増やして行こうではないか?!

ブログサロンを楽しむ方法はたった一つ!待つな、動け!

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今、多くのブログサロンがあります。

有名なものをちょっとリストアップしてみましょう。

synapse.am 

www.jimpei.net

yossense.com

laugh-raku.com

www.inoueyuuki.com

www.meguminimal.com

 

どうでしょうか?パッと思い出しただけでも、これだけあります。驚きですね。

これだけブログサロンが流行ると、SNSを通して様々なブログサロンの感想を目にする事があります。

 

たとえば、こんな感想。

「レベルが高すぎて、全然、学べなかった」

「講師が忙しすぎて、しっかりと教えてくれなかった」

「サロン内の交流がない!」

などの意見をたまに目にする事があるんですよ。

 

でもね、僕はこういった感想、意見を聞いて、いつも疑問に思うんです。

「あれ?全部、受け身じゃないか?」、と。

「いや、いや、お金を払ってるんだから、サービスを要求するのは当然でしょ?」と、思われたかもしれません。

しかし、当たり前の事を言いますが、サロンやセミナーなどは受講する人たちが何かを学ぶためのきっかけにする場所だと思うんです

そう、あくまで、きっかけなんですよ。

 

自分から動く事で鍛えられるものとは?

考えてみてください。

サロンやセミナーを受講すれば、手取り足取り教えてくれて、あ~んと口をあけてれば、いつのまにか人気ブロガーになっているなんて事はありませんよね

たとえば、ブログの事で疑問に思う事が出て来て、サロンやセミナーで講師の方にアドバイスを貰ったとします。

そこで、貰ったアドバイスをもっと理解するために、自分なりにネットや本を読んで調べて、だんだん解って来る。

でも、ネットや本を調べても解らない事が出て来るので、もう一度、講師の方に質問する。

それでもよく解らなかった場合は、ブログやネットに詳しい友人や知人に聞いてみて、やっと理解する事が出来る。

 

きっと、まったくの素人がブログに関するSEOやデザインを学ぶためには、上に書いたような流れで勉強して行くと思うんです。

もう一度、確認しますよ

 

その1・ブログサロンやセミナーを受講する。解らない事を講師の方に質問して、アドバイスを貰う

 

その2・アドバイスを貰っても解らない部分があるので、ネットや本で調べる。

 

その3・そうすると新たな疑問が出て来たので、もう一度、講師の方に質問する。

 

その4・さらに、また解らない部分が出て来たので、ブログに詳しい友人、知人に聞いて、やっと理解する事が出来る。

 

だいたい、この流れだと思います。

しかし、冒頭で紹介した受け身の感想を持っている人達は、その1で諦めてしまっているのではないか、と思うんですよ。

はっきりとお伝えします。

せめて、その4まで自分でやりましょう。僕は頭がいいほうじゃないので、その4までやっても、完全に理解できないかもしれない。

けれど、その4までやった人とその1で諦めてしまった人とでは、はっきりとした差が出ます。

それは、何か?質問力です。

 

人に質問する時の質が違って来るんですよ。明らかに、違って来ます。

むしろ、この質問力を鍛えるために、ブログサロンに入る!、という気持ちでいいと思えるぐらいです。

どうでしょうか?もしブログサロンやセミナーを受講するのなら、その1からその4を意識してみてください。

待たないで、自分から動く事が重要です。

共に、待たないで、動いて行こうではないか?!