「差別するな」、と言いながら差別するのは辞めにしよう!、敵を作らないで戦う方法
アメリカに新大統領が誕生しました。
トランプ大統領です。
テレビのニュースで知ったんですが、アメリカ国内だけでなく、世界各国でトランプ大統領の就任式に対する反対デモが起きていたんですね
まぁ、言論の自由の精神があるので、デモそのものは否定しません。
しかし、一つ、「ちょっと待った」と言いたくなる場面を目撃したんですよ。
それは、こんな場面です。
反トランプのデモ隊が「トランプ、人種差別するな!」と書かれたプラカードを持って行進していました。
そこへ、トランプ賛成派のデモ隊がやって来て、トランプ大統領を応援するチラシを配り始めたんです。反トランプ派を挑発しているわけですね。
テレビのニュースを見ながら、両者のいがみ合いを目の当たりにしました。
その時、私は反トランプ派の目を疑う行為を目撃する事になるんです。
なんと、その貰ったチラシをくちゃくちゃに丸めて、足で踏みつけたんですよ。
その場面を見て、私、思いました。
あれ?、それ差別じゃん!、人種差別反対なんじゃないの?
皆さん、どう思いますか?、私はどちらかと言えば、反トランプ派です。
しかし、そんな私から見ても、足で踏みつける行為は差別的な行為だと思えてなりませんでした。
しかし、これをお読みの皆さんは、こんなふうに思うかもしれません。
「しょうがないんだよ、あいつらを倒さないとこちらの勝利はないんだから」
本当にそうでしょうか?、私は今こそ、冷静になって、敵を作らない戦いを覚えていかなければならない、と思うんです。
ちょっと、みんなで考えてみましょう。
対話という名の戦い
私達は対話と言う名の戦いを覚えて行かなければなりません。
と言うのも、たとえ、敵と思える誰かを倒しても、差別も貧困も無くならないからです。
もっと言えば、敵と思える奴らが「差別」を生んでいるのではありません。
人は誰しも「差別」をしたいという気持ちがあって、自分達も油断すれば「差別」してしまう可能性がある。その事を忘れないという気持ちが重要なんです。
そうです、「差別」したい気持ちは生きているすべての人間の中に眠っているんですよ。
だから、怒りにまかせて、トランプ派が配ったチラシを踏みつけるという差別をしてしまう。
差別反対派なのに・・・
さきほど、私は「対話」という戦いが必要だ、と言いました。
私が言う対話とは、敵と思える人とも、まずは話しをしてみる、という意味ですが、それだけではありません。
対話という言葉の中には、もう一人の自分と話す、会話する、という意味もある、と考えているんです。
もう一人の自分と話す、会話する、とはどういう事か?
それは、つねに自分に質問する事を忘れないという事です。
たとえば、「差別」というキーワードで考えると、こんな質問が浮かんで来ます。
「今、俺(私)は差別はいけないと言いながら、自分が差別的な事をしていないか?」
こんなふうに、つねに自分に質問する事で、自分の中の「差別」を監視する事が出来ます。
忘れないで!、敵も味方もあなたの中にいます。加害者も被害者もあなたの中にいる。
大事なのは、自分で自分の中に隠れている毒の部分をちゃんと見ること。
これは、ある意味、敵を倒す戦いよりも大変です。でも、争いの匂いがする今こそ、「対話」という戦いに挑戦しなければなりません。
共に、対話と言う名の戦いをやって行こうではないか?!