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脱貧困ブログ

ひきこもり、ニート、うつ病、障害者、ネットカフェ難民、ホームレス、パワハラ、貧困状態の人を助ける情報を発信して行きます

貧乏人は仏教に向いている!?、坊さんは元祖ミニマリストだぁ

考え方から脱貧困  仏教  ミニマリスト

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なんだか、とっても生きづらい世の中です

生きづらさと貧困問題は密接に関わっています。

だからこそ、当ブログとしては、ほっておけない。なんとか解決の糸口を探って行きたいと思うんです。

でも、では、そもそも、生きづらさは、いったいどこから来るのか?

いろいろな要因があると思いますが、大きく分けて2つあります。

 

一つは、お金です。

人は誰しもお金があれば、何でも出来ると思っています。

本当はそんな事ないんだけど、お金から逃れられない事によって、「もっと稼がなければダメだ」とか、「もっと商品を売らなきゃ」と思っている人が多い。

結果、つねにイライラしたり、怒りっぽくなってしまう人が出て来てしまう。

 

2つ目は、人間関係です。

「あの人に嫌われたくない」、「嫌いな奴と笑顔で話さなきゃいけない」とか、人間関係のトラブルって、本当に次から次へとやってくる。つねに、人の目を気にして、ストレスがどんどん溜まっていく事になります。

 

以上が生きづらさを生んでいる2つの大きな要因です。

で、こんな事を書くと、きっとツッコンで来る人が出て来ると思うんですよ

「お金も人間関係も逃げられないものなんだから、しょがないじゃないか!生きづらさを避ける事は出来ないんだよ!」

確かに、そうかもしれません。お金を稼がなきゃ物が買えないし、人は一人では生きていけないから、まったく誰とも関わらずに生きていけない。

ある意味、生きづらさって、必要悪なのかもしれません。

でもね、避ける事は出来ないけれど、折り合いをつける事は出来るんじゃないか?と思うんです

 

生きづらさを生んでいるお金や人間関係を無くす事は出来ない。

けれど、折り合いをつけて、なるべく楽に生きて行く事が出来るのではないか?

大昔、その事に気づいた頭のいい人がいました。

それが、お釈迦様、ブッタと言われる人です。

「なんだ?なんだ?こいつは怪しい宗教にハマっちゃったのか?」と思うかもしれませんが、そうではありません。

仏教の教えって、実に合理的な思考方法や実践的な生き方を伝えてくれるんですよ

そして、僕らのような貧乏人、貧困予備軍には、めちゃくちゃ向いていると思うんです。

理由をご説明しましょう♪

 

 仏教は、物を持たない自給自足の楽しさを教えてくれる

仏教の教えを学ぶために、お寺に入って修行する人をお坊さんと呼んだりしますよね

で、お坊さんの生活を想像してみると、かなりの貧乏生活だと思うんですよ

ちょっと、想像してみましょう。

朝起きて、座禅を組んで、お経を読みます。そのあと、精進料理と言われる最低限の食料を食べて、掃除したり、また座禅を組んだりして、一日が終わって行くと思うんです。

もちろん、食料も農作業で手に入れたもので、無料です。

ただ、現代のお坊さんは、物凄くビジネスとして割り切っている部分があるので、違いますよ

でも、昔のお坊さんは、本当に必要最低限の物質と食料で生活していたのではないか?と思うんです。

つまり、必要最小限の生活をする事で、お坊さん達は煩悩、欲に振り回されない生活を練習していたと思うんですよ

今風に言うと、ミニマリスト思考と言うのでしょうか?

ミニマリスト=最小限主義者だとすると、もしかしたら、昔のお坊さんは元祖ミニマリストだったのかもしれません。

こんな事を考えて行くと、僕らのような貧乏人、貧困予備軍は、実に仏教的な感覚に似ていると思いませんか?生きづらさから抜け出すためには、仏教的ミニマリストを身につける必要があるんですよ

そうする事によって、お金や人間関係の呪縛を軽くする事が出来るんです

 

仏教の『中道』の思想を身につけよう

「そうは言っても、これだけお金や人間関係に囲まれているのに、今更、仏教的ミニマリストはやれない、ストレス発散のためにお金と人間関係が必要なんだ」

そんな声が聞こえて来る気がします

解ります。でも、諦めてしまったら生きづらさは、ますます悪化するだけです。

ここは、一つ仏教の『中道』という考え方を学んでみてください

『中道』を説明するためには、相田みつをの言葉をご紹介すると解りやすいです

皆さんご存知の相田みつをは、仏教の思想に影響された書道家なんですよ

 

これでいいとは思いませんが、これしかできない、わたしには

 

 

いいですねぇ~、相田みつをは、この言葉の意味をこんなふうに説明しています

きびしい自己否定がなければ、人間はすぐに傲慢になります

一方、絶対の自己肯定がなければ卑屈になります

 卑屈にも傲慢にもならないためには、自己否定、自己肯定、共に必要ですね

この思想、考え方は、自己肯定と自己否定の間の道を行くから、『中道』と呼ばれているわけです。

で、これは、僕からの提案です

ぜひ、『中道』の思想を取り入れて、仏教的ミニマリストに挑戦してみませんか?

 現代に生きる僕らがお金や人間関係がもたらす生きづらさから脱出するのは、難しいかもしれません。

しかし、軽くする事は出来るような気がします。卑屈にも傲慢にもならないで、ぜひお金、人間関係に囚われない生き方を探して行きましょう。

合掌!