脱貧困ブログ

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セックスや恋愛を承認のために使うということは、それってそもそも他者への愛じゃないし、性欲ですらないのか?!

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by:JLStricklin

皆さんなら、タイトルの質問にどんなふうに答えます?

様々な答えがあると思います。

たとえば、こんな答え。

 

「どんな綺麗ごとを並べても、恋愛、セックスはそもそも承認を満たすためのものでしょ?!」

うん、うん、解ります。

あるいは、30代、40代のそれなりにいろいろ経験した人達は、こんな答え方をするかもしれない。

「お互いに承認している感覚、自覚があるか、ないか?が重要じゃないかなぁ?どちらかが一方的に承認欲求を満たしている状態は、暴力的だと思う。

そういうガキっぽい恋愛、セックスは20代の若い頃だけでいいっしょ!」

うん、うん、大人の意見で素敵ですね。

 

僕は、答えは様々あっていいと思うんです。ただ、タイトルに書いた質問って、あなたや僕が異性(別に異性じゃなくても、同性でもいい)と向き合って行くうえで、つねに自分に問い質したほうがいい質問じゃないか、と思うんですよ。

もしかしたら、タイトルの質問を見て、「えっ?承認を満たさないで、楽しめるコミュニケーション、恋愛、セックスってあるの?」と、始めて疑問に思った人がいるかもしれませんね。

そんなふうに疑問に思う事自体に意味があります。

この記事を読んでいるのも何かのご縁です。

ぜひ、あなたなりの答えをこの記事を読みながら考えてみて♪

 

承認欲求と貧困問題

そもそも貧困問題解決を考える当ブログが何で恋愛、セックスを語るの?関係あるの?、と疑問に思った人がいるかもしれません。

お答えしましょう。大ありです!

男でも女でも、仕事や恋愛で疲れた時、湧き上がって来る想いは以下の感情じゃないでしょうか?

「あぁ~、誰か一人でもいい!、自分の事をちゃんと承認してくれる人、解ってくれる人はいないの?そういう人が一人でもいてくれれば、私は他のすべてのモノを捨ててもいいよ!」

こんなふうに思った事はありませんか?

もちろん、実際には残酷な現実に直面して、「そんな人なんているわけないよねぇ・・・」と、日常の生活に引き戻されるわけですが・・・

まぁ、要するに、誰かに承認されているという実感が人の生きる力になって、その想いが自分を貧困に落とさないための抑止力になると考えているんですよ

たとえば、仕事が辛くなって辞めたくなった時、人間関係で嫌な事があって、ヤケになってしまいそうな時、自分を承認してくれる人が一人でもいればこんなふうに自分で自分に声をかける事ができる。

「でも、ここでヤケになったら、自分を承認してくれているあの人が悲しむぞぉ!しっかりしろ!」

だからこそ、僕ら、私たちはこの世で一番、承認や居場所を実感できるセックスや恋愛を真面目に考えてみる必要があるんです

どうですか?納得した?強引?(笑)

 

テクニックを超えて行きたい!

今、「うわぁ~、俺(私)には、承認してくれる人なんていないよぉ~、悲しすぎる!」と、叫び出したくなっている人が大勢いるような気がします

でもね、ここで、「心配するな、あなたが承認欲求を満たすために、素敵な恋愛、セックスが出来るようになるための方法を伝授します」とは言いません(笑)

 

この展開で、そのまま「恋愛テクニック」を教えるパターンって、たくさんありますよね。

たとえば、LOVE理論、恋愛工学だったり、いろいろある。

LOVE理論

LOVE理論

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

 でも、今日は一歩進んで、そういうテクニックだったり、見た目の事だけに意識して得た「承認」って、最終的にむなしくなるだけなんじゃないの?っていう事について考えたいんです。

もっと言うと、相手を思いやるテクニック(技術)は必要だけど、形だけのテクニック(技術)に、いかにとらわれないでいられるか?という事を考えたいと思うんですよ

そもそも、タイトルにある質問がそういうテクニックを超えたものですもんね

 

人を支配することは楽しくない!

ここまで書いて、必ず、「うわぁ~、このオジサン無理してる!イタイ!」とか「きっと、モテないから、テクニックじゃないという事を言い訳にして逃げてるんだなぁ」と、思った人もいるでしょう。

それは、半分、正解(笑)。でも、半分は不正解です

 

なぜ、半分は不正解と自信を持って言えるのか?!

それは、テクニックって、結局、相手を支配するだけのものである事に気がついちゃったからなんですよ

それは、僕が20代の頃に経験したある出来事が気づかせてくれました。

 

僕、20代の頃、女性といい雰囲気になって、何回かセックスするチャンスがあったんです。

でも、実はちゃんとセックスした経験よりも、勃たなかった経験のほうが多いんですよ

「おまえは、突然、何を言い出すんだ?!」と、思ったかもしれません(笑)

が、大事なところなので、しばらくお付き合いください。

で、「何であの時、勃たなかったんだろう?」って、34歳になった今になって改めて考えてみたんですね

考えてみた結果、出て来た答えは、「自分の攻撃性、支配的な感覚に気がついてしまって、自己嫌悪になってしまった。だから勃たなかったんじゃないか?!」というものだったんです。

 

これも、ちょっと説明させてください。

僕ら、男って、なにで性教育されるか?って言うと、AVだったり、エロ動画ですよね?

思い出してみてください。AVやエロ動画のストーリーって、だいたい、女性を支配したり、攻撃したりするパターンが多いでしょ?

だから、知らないうちに僕ら男の思考回路の中に、セックス=女性を支配すること、攻撃すること、という価値観が出来てしまったんじゃないか?と思うんです

そして、20代の頃の僕が勃たなかった理由は、そんな「女性を攻撃したり、支配したりしないと興奮できない自分が嫌になっちゃった」からだと思うんですよ。

これは、20代の頃じゃ解らないんです、単純に「勃たない俺は、男としてダメだ」と、落ち込んでいたので。

でも、そうじゃなくて、女性を支配したり、攻撃したりするセックスをしたくなかった。

だから、身体が反応して、不能になったんじゃないか?と推測するんですよ

頭では攻撃的、支配的だと思っていても、身体は別の反応をする。

こういう時は、頭よりも身体、五感の反応を信じたほうがいいんですよ

 

質問をもう一度、考える!

ここで、もう一度、タイトルにある質問を考えてみましょう。

セックスや恋愛を承認のために使うということは、それってそもそも他者への愛じゃないし、性欲ですらないのか?!

 

う~ん、この質問がテーマが大きすぎて簡単に答えられませんね。

でも、今のところ言えるのは、僕が20代の頃に経験した事を考えると、セックスや恋愛を承認のために使うと、身体が先に嫌がるということ

少なくとも、僕はそうだった。

いろいろ考えたけど、結局、答えらしい答えは出なかったように感じます。

なんか、まとまりの無い文章になってしまいました。

でも、30代、40代、50代になっても、タイトルの質問を考え続ける事によって、自分の中にほど良い節操が生まれる気がするんですよね。

ちなみに、タイトルの質問は、「日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない」という本の中で出て来た言葉です

僕らが考えたほうがいいテーマなので、ぜひ読んでみて♪

共に、究極の質問を考え続けようではないか?!