就職したくない人へ、週休5日の働き方教えます
週休5日の働き方がある
こんな事を言われたら、あなたはどんなふうに思いますか?
「どうせ、怪しいネットワークビジネスでしょ?」、「嘘だ、そんな生活できるわけがない」
きっと、上記のような感想を持つと思います。
でもね、週5日休んで、のんびりと楽しく生活している人が現実にいるんですよ
ご紹介しましょう。
『年収90万円で東京ハッピーライフ』の作者・大原扁理さんです。
- 作者: 大原扁理,死後くん
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2016/07/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (7件) を見る
年収90万円で東京ハッピーライフというタイトルを見て、驚いた人がいるかもしれません。
そりゃそうですよね、みんな貧乏になりたくない。お金を稼いで、派手に遊びたい。
そんなモチベーションを持って、毎日、働きに行っていると思うんです。
でも、大原さんは違う。大原さんは、本の中でこんな事を言っています。
人はあまり私の事を知りません。なぜかと言うと、『隠居』してるからです。
わたしは20代で世を諦め、あんまり働かなくなり、いまやほとんど人と関わってないんです。
いいえ、ITや株で儲けてアーリーリタイアとかいう、経済的に恵まれた話しではありません。宝くじも当選していなければ、親の遺産もない。
でも、ちゃんと生きてます。
(中略)忙しすぎる仕事も辞めました。
もっとフツーの生活を求めて、仕事を調整しながら、だんだん減らし、使うお金も工夫して減らし、そしてだいたい20代半ばぐらいから、今のような週休5日の悠々自適生活に落ちついて来ました。
どうでしょうか?
もしかしたら、ここまで読んで、怒りだした読者がいるかもしれない。
「はぁ?、俺(私)が知りたかったのは、ITや株で儲けてアーリーリタイアする方法なんだよ、大原さんみたいに貧乏になって、世の中に乗り遅れる方法じゃない、ふざけるな」
う~ん、まぁ、気持ちは解ります。
上記のような怒りがわいて来た人には、ごめんなさい、としか言えない(笑)
しかし、僕は断言します。
大原さんの生き方は、ITや株で儲けてアーリーリタイアしようとしている人にも参考になるんですよ
なぜ、そんなふうに思うのか?
じっくりとご説明しましょう。
働き方が崩壊している国、日本
この記事を読んでくれている方の中には、「就職したくない」、「週休5日」という言葉に惹かれた人もいると思います。
きっと、これらの言葉に惹かれたという事は、今の働き方に疑問や憤りを感じているからですよね。
だからこそ、ITや株で儲けてアーリーリタイアしようと考えているんでしょ?
もしかしたら、会社という組織の中で競争する事に心底、疲れている状態なのかもしれない
早朝に起きて、眠い目をコスリながら、ギュウギュウの満員電車に乗って、やっと会社に到着。
やる意味あるのか?、と思える会議をこなし、上司が思いつきで出したアイディアの準備をしなければいけなくなる。
「成果主義なら、まだいい。でも、うちの会社は成果主義に見せてるだけで、結局、上司の意見を尊重しなければいけなくて、何の為に競争してるのか謎だ。バカバカしくてやってられない」
もし、こんな苦しみを持っているなら、あなたの競争する事から来る疲れは、たとえ、ITや株で儲けたとしても消える事はない。残酷な事を言うようだけど、真実です。
だって、そうでしょ?、ITや株で儲けるためには、結局、意味の解らない競争に勝っていかなければいけないんだから。
だから、現代に生きる僕らは、労働に対する考え方を変えていかなければならないと思うんです。
どんなふうに変えるべきか?それは、もっと稼ぐ方法を模索するんじゃなくて、稼がないでも楽しく生きる方法を考えて行くという変化です。
競争しない生き方を探すんですよ。
大原さんが実践している生き方、働き方は、貧乏でも楽しく生きる、ハッピーライフ。まさに、稼がないでも楽しく生きる方法です。
そんなふうに考えてみると、大原さんに対して、単純に、世の中に乗り遅れている人、というマイナスの評価をするのではなく、「なぜ、年収90万円でも楽しく生きているのか?」という問いを持ち、大原さんの生き方から学んでいくべきなんじゃないでしょうか?
もちろん、「自分はさすがに年収90万円は無理」と思うならそれでもいい。
だったら、「年収150万円」だったらどうでしょう?「年収300万円」だったらどう?、「年収500万円」だったら?
こんなふうに、「自分はいったい年収いくらだったら、それなりに楽しく生きていけるのか?」という問いをもう一度、考える時なんですよ。
ガンガン遊ぶため、他人と比べてかっこ悪いからという、ソトズラの欲求を満たすために働かない、稼がない。
それよりも、稼ぎは少なくても、うつにならないで、健康的で毎日七時間の睡眠を取って、友達や恋人、家族との時間を大事に出来る。
そんな生き方、働き方のポイントが「年収90万円で東京ハッピーライフ」には書かれています。
最後に、大原さんの素敵な言葉をご紹介しましょう
進学とか就職とか、せなあかんことないですよ、ぜーんぜん。
「なんでこんな辛い事せなあかんのか」って思ってるけど、退路絶たれまくって、しかたなく流れに乗ってるだけ、っていう人もいるんじゃないのかなぁ。
昨今の世間の、進学や就職へのプレッシャーってひどいもんですもんね。そこまで、追い込むかっていうぐらい。
(中略)進学や就職で悩んでいる人って、過度な競争に参加せず、かと言って自分で起業とかいう気分でもなく、もっとフツーでいいんだけど、どうすればいいのかわからない・・・ていう感じかもしれません。
だって、今の世の中、就職か起業か、ふたつにひとつ!みたいじゃん。極端すぎですよね。
Mr.競争みたいな人の話もいいんですけど、いい年こいて、ブラブラしているノーブランドの男の話も、たまには聞いてください
どうでしょうか?面白そうな本でしょ?、ぜひ、読んで、考えてほしい。
共に、楽しい、生き方、働き方を模索して行こうではないか?!
『本当の貧困じゃない!』と、叩いているだけじゃ貧困は無くならない。その事をどうか解ってほしい
今、NHKが放送した貧困女子高生についての議論が話題になっています。
知らない人のために、ちょっとだけ説明させてください。
事の発端は、こちらの記事を読むと、よく解ります。動画もあるので、ちょっと観てみてください↓
NHKが特集した貧困特集に登場した女子高生の「うらら」さんについて、実はお金には全く困っていないのではないかと囁かれ始めた。当の本人が豪遊している証拠をネット上にたくさんアップしていた。
この件に関しては、プロブロガーのイケダハヤトさん、NPO法人ほっとプラスの藤田さん、NPO法人自立サポートセンターもやいの大西さん、社会活動家の湯浅さん、ライター・作家の雨宮処凛さん、みわよしこさんなどがしっかりと意見を書かれています。
貧乏人は、お金の使い方を知らないから貧乏なのです。 : まだ東京で消耗してるの?
貧困の基準はどこにある?――「貧困女子高生」報道から考える - 大西連 / NPO法人自立生活サポートセンター・もやい (1/2)
「貧困女子高生」バッシングの無知と恥〜「ニッポンの貧困」の真実(大西 連) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160830/biz/00m/010/005000c
衣食住ある貧困 どこまで許容(2016年8月31日(水)掲載) - Yahoo!ニュース
「非の打ち所のない貧しい人」ってどこにいるの? 〜高校生バッシング、もういい加減やめませんか〜の巻-雨宮処凛がゆく! | マガジン9
「貧困女子高生」問題に関する私見(みわよしこ) - 個人 - Yahoo!ニュース
どれも専門家ならではの鋭い意見が書かれているので、ぜひ、時間がある時に、読んで頂きたいと思います
で、こんなにもたくさんの有名ブロガーや作家・ライター、NPO関係者が声をあげてくれているので、僕はこの件について書かないでおこうと思っていました。
やはり、話題の中心にいる女子高生の生活に関わってくる事なので、むやみに盛り上げないほうがいいと判断したんです。
でもね、でもですよ、ツイッターとかネットを見てると、目に入って来るんですよ、その女子高生に対する中傷が。
もうね、その中傷がだんだんムカついて来たので、結局、書かせて頂きます。
まずは、上記に紹介した記事のほとんどに書かれている『絶対的貧困』と『相対的貧困』について、ご説明しましょう
まずは、これを理解しようとする事が最初のステップです
『絶対的貧困』と『相対的貧困』とは?
女子高校生は貧困状態にあるのか?ないのか?
この質問に対する正解と言える答えはあるのでしょうか?
作家のみわよしこ さんが解りやすく説明してくれています
「絶対的貧困状態にはないが、相対的貧困状態にある」が正解でしょう。
話題になった女子高校生のケースでは、主に問題になっているのは
「食うか食えないかという貧困ではないけれども、友人づきあいで『同じことを同じ回数は無理』が数多くあり、進路選択など多くの費用が必要な場面では、家庭の経済状況による制約が、どうしようもなく加えられる」
という相対的貧困です。
「食うや食わずや」、生死が問題になるような「絶対的貧困(1人1日1.9ドル以下での生活(2015年、世界銀行による)」ではありません。
「貧困ではない」の証拠とされた「友人たちとのランチ」「チケットのコンサート」「高価なペン(のセット)」といったものがスポット的に存在することが、まだ彼女の状況を相対的貧困の範囲に押しあげています。
それも不可能な状況になったら、バッシングした人々も、彼女を「貧困」と認めるのでしょう。
どうでしょうか?さらに、簡単に言うと、こういうこと。
食料がない、家がない=絶対的貧困
周囲の人達が出来ている事が出来ない=相対的貧困
また、アニメの専門学校を金銭的な理由で諦めている、クーラーはなく、PCも買えない、などを考えてみると、間違いなく彼女は相対的貧困なわけです。
ここまで読んで、「そっか、「絶対的貧困状態にはないが、相対的貧困状態にある」という事なのかぁ~、どちらにしても貧困なんだから、簡単にバッシングするべきじゃないなぁ~」と、思った人は、次は読まなくてもいい。
でも、「納得できない、やっぱり、趣味にお金を使っている時点で、貧困じゃないでしょ?」と言う人は、ぜひ次も読んでほしい。
そんなふうに、考えてしまう事が、どれだけ危険な事なのか説明します
一億総貧困予備軍の時代
僕は、貧困をテーマに、このブログ、脱貧困ブログを運営して来ました。
なので、ふだん脱貧困ブログを読んでいる僕の友人から連絡が来て、今回のNHKの貧困女子高生について、こんなふうに質問されました。
「あの女子高生って、本当に貧困なの?」
この質問について、僕はこう返しました。
「彼女は貧困予備軍だと思う、僕が心配しているのは今回のバッシングで、趣味にお金を使う事すらも出来ないガチの貧困状態になってしまうのを心配しているんだよね」
どういう事か?解りますか?
僕は、あえて、絶対的貧困と相対的貧困を言葉に出さないで、絶対的貧困を貧困と呼び、相対的貧困を貧困予備軍と呼んでみたんです。
こうすると、人に話す時に、解りやすくなります。この解釈は、専門家の方は、きっと嫌がるでしょう。
でも、今回の本質をよく説明できるので、上記のような貧困予備軍という言葉を使っているんですよ
ちょっと考えてみてください。
あのNHKの番組で紹介された女子高生を貧困予備軍だとすると、何がきっかけでガチの貧困状態になってしまうか解りません。なぜなら、予備軍だからです。
たとえば、今回のバッシング。今回のバッシングで散々、叩かれた彼女は、もしかしたら、不登校になってしまうかもしれない。
最悪、うつ状態になってしまう可能性だってあります。
また、うつ状態になってしまうのは、女子高生だけではありません。
彼女の母親や姉もうつ状態になってしまうかもしれない。ネットで叩かれると、思っている以上に精神的なダメージが大きい。ありえる事です。
もし、そうなったら、どうなるでしょうか?
母親のアルバイトと姉の協力で、なんとかなっている彼女の学校生活が出来るかどうか怪しくなって来ます。
本格的に生活保護を検討しなければいけなくなる。
繰り返しになりますが、趣味にお金を使えているとは言え、進学を諦めたり、クーラーが使えない状態である事を考えると、予備軍である事に間違いはない。
彼女やその家族は、もうすでに、生活保護が必要なガチの貧困状態にまであと数歩進むと、なってしまう状況にいるんです。
だからこそ、バッシングをして、彼女とその家族を追い込んではダメなんですよ
バッシングには、何の意味も無い。解りますか?
あの女子高生に、「あまえは貧困じゃない」とか「甘えるな」とか、バッシングした人たちは、彼女の背中をドンと押して、生活保護が必要なレベルの貧困まで落とそうとしている事に気がついていないのか?、と声を大にして言いたい。
僕らは、もっと彼女やその家族を応援し、味方になって行かなければいけないんですよ
僕らに出来る事は限られています。しかし、ネットやSNSに書き込む時は、もっともっと、貧困を解決するためにはどうするべきなのか?という視点を持ってほしい。
バッシングするだけじゃくて!
なぜなら、今の日本は、貧困予備軍が大勢いる時代に突入しているからです
解決するにはどうするか?という視点を持っていれば、貧困予備軍であるあの女子高生をバッシングして、生活保護が必要なガチの貧困状態まで追い込むような事はしないはずです。そんな発想にはならないでしょ?
どうでしょうか?僕は友人に上記のような説明をしました。
ぜひ、じっくり考えてほしい。
共に、貧困を解決する視点を持って行こうではないか?!
ブログのネタに困っている人へ、ブログは読者と一緒に勉強する気持ちで書けばいい!
今日はブログ論をお届けします。
僕はかれこれ二年近くブログを書いて来ました。
二年近くブログを書いていると、時々、記事を読んでくれた方に喜んでもらえたり、感謝されたりすることがあるんです。
これは、本当に嬉しいこと。僕は、この喜びを多くの人に味わってほしいと思い、イベントや飲み会で会う人会う人に、「ブログ書いたほうがいいですよ、面白いですよ」と、オススメしています。
しかし、ほとんどの人が「じゃあ、書いてみますね」と、その時は言っても、いつまでも経っても書かない
まぁ、べつに、書かなくても生活に支障はないので、いいんですよ(笑)
でもね、いつまでも書かない人に限って、「あなたの話しを聞いて、ブログに興味持ちましたよ。書きたい気持ちはあるんです」とか言うんですよ(笑)
「何でだろう?」と、疑問に思いました。そこで、またその人に会う機会があったので、思いきって、こんな質問をしてみたんです。
「書きたい気持ちがあるのに書けないのは何が原因だと思いますか?」
すると、こんな答えが返って来ました。
「専門家じゃないので、ネタがないんですよ」
「あぁ~、それかぁ~」と、思いましたよ。専門知識がないとブログは書けないと思ってる人って、けっこういるんです。
しかし、本当はブログを書くのに、専門知識なんていりません。
いや、正確に言うと、今、専門知識がなくてもブログを書きながら読者と一緒に勉強して行けばいいんです。
どういう事なのか?ちょっと説明しましょう。
ブログを運営するために書き出す3つのこと
最近、染谷昌利さんが書いた「世界一やさしいブログの教科書」という本が発売されました。
染谷さんは、ブロガーなら誰もが知ってる『ブログ飯』の作者ですね
- 作者: 染谷昌利
- 出版社/メーカー: ソーテック社
- 発売日: 2016/08/11
- メディア: 単行本
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- 作者: 染谷昌利
- 出版社/メーカー: インプレスジャパン
- 発売日: 2013/06/21
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この本には、ブロガーが忘れちゃいけないアドバイスがたくさん書かれています。
とくに、僕が注目したのは、本に書かれていた『ブログを運営するために書き出す3つのこと』です。
1・自分の好きなこと(得意なこと)を書き出す
2・自分の過去の経験を振り返り、できることを書き出す
3・興味の強い事項、学びたい事を書き出す
上記の3つがブログを運営するために書き出すこと。
いかがですか?すでに、ブログを書いている人も一緒に1・2・3を考えてみてください。
おそらく、長くブログを書いている人は、1・2・3の複合型でしょう。雑記ブログってやつですね。
んで、1の自分の好きなこと(得意なこと)と2の自分の過去の経験を振り返り、できることを考えて、バンバン書き出せちゃう人は、それならそれでまったく問題ありません。
どんどん記事を書いて、ブログを楽しんでほしい。
しかし、1も2もぜんぜん書けなかった。
「ていうか、俺(私)には、好きな事も得意なこともないし、人に自慢できる過去の経験もない。俺(私)は凡人なんだぁ~」と、嘆く人がいるかもしれません。
でも、絶望するなかれ!、そんな人のために、3の興味の強い事項、学びたい事を書く、という項目があるんです。
染谷さんは、こんなふうに書いています。
現在の自分自身の経験にどうしても自身が持てないのであれば、これから読者と一緒に学んでいくというブログの運営スタイルも考えられます。
私が運営している「Xperia非公式マニュアル」は、まさにこの形態で、当時発売されたばかりで使い方がまったくわからなかったAndoroidスマートフォンの使用方法の解説と、役に立つアプリの紹介をメインのテーマに捉えました。
今の自分ではわからないことも、読者と一緒に試行錯誤し成長したさまを記事として提供することで、十分に価値のある内容になります。
どうでしょうか?今、得意なこと、好きなことが無くても、なんとなく興味のある事ならあるんじゃないですか?
実は、このブログ、脱貧困ブログも3のタイプなんです。
たまに、勘違いされますが、僕は貧困問題の専門家ではありません。
素直に言うと、まだまだ知らない事がたくさんあります。
なので、時々、貧困問題、生活保護の事で質問して来る読者の方がいるんですが、そんな時は、本を読んだり、ネットで調べたり、詳しい人に聞いたりして答えているんです。
でも、それでいいんですよ。
脱貧困ブログは、僕が読者と一緒に試行錯誤し成長して行く事を目的に書かれています。
僕が一方的に知識を伝えるために書いているんじゃなくて、逆に読者の方々から学ぶために書いているんです。
それが、長続きするブログのコツなんですよ。専門家じゃなくてもいい。学んで行けばいい。そして、その学んだ事を書けばいいんです!
どうでしょうか?ブログに書くネタがないと嘆く人は、ぜひ参考にしてみてください。
共に、ブログを書きながら学んで行こうではないか?!
貧困とは三つの無縁と三つの障害から生まれる事をはっきりさせたいと思う理由
そもそも貧困とは何か?(中略)。僕なりの考察では、人は低所得に加えて「三つの無縁」と「三つの障害」から貧困に陥ると考えている。
これは、「犯罪現場の貧困問題」を書き続けるルポ・ライター・鈴木大介さんの言葉です。
ベストセラーになった『最貧困女子』のまえがきに書かれています。
- 作者: 鈴木大介
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/09/27
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (36件) を見る
実は、つい最近、『最貧困女子』を読み返したんですね。で、読んでいる途中にある想いがふつふつと湧き上がって来たんです。
その想いとは、まえがきに出て来る、低所得に加えて「三つの無縁」と「三つの障害」から貧困に陥る事をもっと多くの人に知らせるべきだ、というものです。
何でそんなふうに思ったか?それは、低所得に加えて「三つの無縁」と「三つの障害」から貧困が生まれている事を多くの人に知ってもらえば、「貧困当事者に対する自己責任論」を減らせると思ったからなんですよ。
また、高価なモノを持っているから貧困じゃない、という意見もそもそも貧困とは何か?の定義があいまいだから起きる批判なんじゃないか?と思うんです。
ちなみに、『自己責任論』とは、簡単に言えば、何か困っている人がいたら、その困っている事をすべて、その人自身の責任にする、という考え方です。
皆さんもネットやテレビなどで、見たり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか?
たとえば、生活保護利用者に対する、こんな自己責任論。
「戦時中じゃあるまいし、今の日本に貧困なんてあるわけない、生活保護を使うのは怠けているだけだ!」
一見、説得力があるような気がします。もしかしたら、この記事を読んでいる読者の方の中にも、「その通りじゃないか、何も間違ってない」という意見の人がいるかもしれない。
しかし、そんな時、ちょっと立ち止まって、「三つの無縁」と「三つの障害」を考えてほしい。
あなたが今、貧困じゃないのは、「三つの縁」があって、「三つの障害」が無いからなんです。
それに、一見、貧困じゃないように見える人でも、よく話しを聞いてみると、「三つの縁」が無くて、「三つの障害」がある人かもしれない。
「三つの無縁」と「三つの障害」が隠れていて、見えていないだけかもしれません。
その場合、僕らは、その人の表面的な部分だけじゃなく、見えてない裏の環境にまで目を向けなければいけないんです。
では、三つの無縁と三つの障害とは何か?ちょっと説明させてください。
三つの無縁と三つの障害とは?
鈴木さんは言います。
『三つの無縁』とは、『家族の無縁』、『地域の無縁』、『制度の無縁』だ。
『家族の無縁』とは、困った時に頼れる家族、親族がいないこと。
親も貧困であれば頼る術はそもそもないし、貧困家庭に育つことは教育というその後の所得を保証する(最近は保証しないが)自己資産を得られない事にも繋がる。
『地域の無縁』とは友達の無縁とも置き換えられるが、苦しい時に相談したり助力を求められる友達がいないこと。
『制度の無縁』とは、そもそも生活保護の捕捉率が非常に低いことに代表されるように、社会保証制度の不整備・認知度の低さ・実用性の低さのこと。
どうでしょうか?シンプルだけど改めて確認してみると、貧困状態じゃない人は三つの縁のうち、必ずどれか一つは持っているんじゃないですか?
だから、あなたは貧困を免れているんですよ。
また、「家族の無縁」のところで、鈴木さんは例として、生まれた家庭がそもそも貧困である可能性を指摘しています。が、僕は貧困家庭ではなかったとしても、無縁になってしまう危険性があると思うんです。
それは、ズバリ、虐待です。
虐待は肉体的な虐待と精神的な虐待があると思いますが、どちらにしても、縁が切れてしまう可能性が非常に高い。たとえ、お金がある家庭で育ったとしても、虐待される家庭の中にいれば、家族の無縁を生み、貧困状態の人をつくる事になると思っています。
大事なポイントなので、補足しておきました。
さぁ、次に、三つの障害を考えてみましょう。
三つの障害については『精神障害・発達障害・知的障害』と考える。
これを挙げることは差別論にも繋がりかねないので慎重を要するが、これらの障害は、「三つの無縁」の原因ともなっている。無視できない問題だ。
うつ病や総合失調症などの精神障害は安定した就業を不可能にするばかりか、ケアの難しさから三つの縁を遠ざける。
ADHDや自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群等)等の発達障害もまた、理解されずらいパーソナリティが精神障害と似た「支援の斥力(せきりょく)」となる。
知的障害は法区分では精神障害に入るらしいが、療育手帳取得に至らないような軽度、ボーダーラインのものも含め、やはり安定した職や支援者に繋がらない要因となる。
さぁ、どうだったでしょうか?あなたには、「3つの縁」がありますか?「3つの障害」がありますか?
よくよく考えてみてください。
共に、自分や他者の「3つの縁」と「3つの障害」を考えられる人になろうではないか?!
やさしさは頼りにならない。だからこそ、生活保護を勉強しよう!
先日、友人のA君(会社員・34歳)にこんな事を言われてしまいました。
「脱貧困ブログは、貧困当事者と向い合ってないと思う、もっと現場に出るべきだ!」
このブログ、脱貧困ブログの目的は、以下の二つです。
1・お金がない自分自身や自分と似た境遇の人達が貧困にならないためのアイディアを発表して行くこと
2・社会的に貧困を解決するための提案をして行くこと。
この二つが目的なんです。
A君は、その二つの目的を知っているので、「当事者と今以上に向い合わなければ、目的を達成している事にならないんじゃないの!?」と、アドバイスしてくれているんですね。
確かに、と思いました。僕は月一でボランティアに行っているぐらいで、他にたいした事はしていません。
しかし、A君は違います。A君は積極的にホームレスの方々と会いに行き、食事を提供し、コミュニケーションをしているようなんです。
A君がホームレスの方々と向き合うようになったのは、三ヶ月前ぐらいから。
飲みに行った帰り道、いつもすれ違うホームレスの方に挨拶したのが、交流のきっかけだったと言います。
A君とホームレスの方々との交流は、それからも続き、やがて路上で一緒に飲む、飲み友達に発展して行きました。もちろん、飲み代はA君の奢りです。
A君は、胸を張って、こんなふうに話します。
「僕のやっている事は社会活動なんだよ、でも、脱貧困ブログがやっている事は単純にブログで貧困をテーマに表現するだけ、それじゃ何も変わらないよ」
言いたい事は解りますし、A君のやっている事はとても素晴らしいと思います。
だから、これからも続けてほしいと本気で願っています。
しかし、A君は大事な二つのポイントを見逃していると思うんですよ。
そのポイントとは、以下の二つです。
1・生活保護を勉強しないで、貧困当事者を支援しようとするのは危険であること
2・A君のやっている事は、社会活動ではなく、個人的な善意であること
僕は、A君にこの二つのポイントを意識しながら、ホームレスの方々と交流したほうがより上手くいくのではないか?と提案しました。
でも、A君には伝わらなかったみたいで、僕が話している間、ずっと不機嫌でしたけどね(笑)
皆さんはどう思いますか?なぜ、上記の二つのポイントが重要だと思いますか?
ちょっと、一緒に考えてみましょう。
どん底に落ちたら、生活保護しかない
僕は、A君にこんな質問をしてみました。
「もし、A君が交流しているホームレスの方々の一人が、病気になって倒れたらどうする?」
ホームレスになると、雨の日も風の日も路上にいる事になるので、体調を悪くしてしまい、病気になる事だってあります。
A君はこんなふうに答えました。
「そりゃ、救急車を呼んで、入院してもらうよ。それしかないでしょ?」
今度は、僕が答えます。「でしょ?じゃあ、入院したとして、その入院費は誰が払うの?A君が払うの?無理でしょ?だから、生活保護を勉強しておいたほうがいいよ、生活保護費で払うしかないんだから」
僕がこんな事を言うと、A君は驚いた顔でこんなふうに言いました。
「えっ?、住所が無いのに、生活保護って申請できるの?」
これは、あまり知られていません。が、生活保護は住所が無くても申請できるんです。
確かに、生活保護法第30条では、「居宅保護の原則」と言って、「生活扶助は、被保護者の居宅において行うものとする」、という事になっています。
しかし、今、住所が無くても、現在いる場所の役所で仮の住所を申請できるという方法があるんです。この制度を使えば、今、住所が無くても生活保護を申請する事が出来るんですよ
ちなみに、生活保護のこのへんの知識は以下の本を読んでおくと、勉強できると思うので、ぜひ参考にしてみてください
- 作者: ホームレス総合相談ネットワーク
- 出版社/メーカー: ホームレス総合相談ネットワーク
- 発売日: 2012/11
- メディア: 単行本
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あなたにもできる!本当に困った人のための生活保護申請マニュアル (DO BOOKS)
- 作者: 湯浅誠
- 出版社/メーカー: 同文舘出版
- 発売日: 2005/08
- メディア: 単行本
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- 作者: 雨宮処凛
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/10/20
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 13回
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んで、上記の知識を知っているかいないかで、だいぶホームレスの方達との関わり方が違って来ると思うんです。
たとえば、A君が交流しているホームレスの方が「生活保護を申請したい」と、言い出したとします。
もちろん、A君はホームレスの方と役所に行って、生活保護を申請しようとするでしょう。
しかし、役所の役員にこんな事を言われてしまうかもしれません。
「住所が無い人は生活保護を申請できませんよ」
これは、違法です。でも、役所の人間は時に違法な事を伝えて来る事があるんですよ
これを水際作戦と言います。
生活保護の水際作戦事例を検証する / 大西連 / 自立生活サポートセンター・もやい | SYNODOS -シノドス-
このように、A君が生活保護の知識を知らないままだと、「住所が無いと生活保護を申請できません」と言わた時、それをそのまま信じてしまう事になるんです。
だからこそ、ホームレスの方々と交流して行くうえで、生活保護を勉強して行く事は重要になるんですよ。
A君はやさしい男です。だから、僕の大好きな友人の一人である事に間違いはない。
でも、悔しいけれど、やさしさは頼りにならないんです。だからこそ、生活保護を勉強しましょう。
とは言え、僕も専門家ではありません。まだまだ知らない生活保護の知識がたくさんあります。
特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい | もやいは、 自立をめざす生活困窮者の 新たな生活の再出発を お手伝いします。
特定非営利活動法人ほっとプラス - 全ての人がホッとできる福祉社会を目指して
そうすれば、いざとなったら、自分の足りない知識を学ぶ事が出来ます。
社会活動とは広い視点を持つこと
最後に、なぜA君のやっている事は社会活動とは言えないのか?を説明しましょう。
理由は簡単。それは、A君のやっている事はA君の知り合いのホームレスの人達にしか届いていないからです。
A君はホームレスの方々に食事やお酒を提供し、楽しくコミュニケーションをしている。
しかし、その他のホームレスの方達には、食事は届いていないし、もちろんお酒もない。
これでは、社会活動とは言えないんです。
なるべく、多くの困っている人達に支援が行き届くようにすること。
それを社会活動と呼ぶのではないか、と僕は考えています。
具体的に言うと、炊き出しのような活動ですね。勘違いしないでほしいのは、A君がやっている事も必要だと僕は思っています。ただし、社会活動ではないという事をはっきりさせたほうがいいと思っているというだけです。
どうでしょうか?やさしさは頼りにならない。だからこそ、知識を身につけて行く事が重要になって来ます。
共に、生活保護と社会活動に目を向けて行こうではないか?!
人は人を救えません。でも、手伝う事は出来ます!
僕は貧困問題に興味を持ち、脱貧困ブログを作りました。
自分自身が貧困にならないためのアイディアと社会的に貧困を解決するための提案をして行くのが当ブログの目的です。
また、これまで貧困問題解決をミッションにするNPO団体のボランティアに参加したり、貧困問題をテーマにしたトークイベントなどにも出来る限り、足を運ぶように心がけて来ました。
んで、僕が上記の内容を飲み会の自己紹介などで伝えると、たまに、こんな感想が返ってくる事があるんです。
「貧困問題解決?偉いですね!、貧困に苦しんでいる人を救いたいんですね?」
このコメント、本当に時々、頂く事があるんですよ。
つい最近、参加した飲み会でも言われました。いい機会なので、はっきりと伝えておこうと思います。
人は人を救えません!
貧困に苦しむ人を自分の力で救うなんて、出来るわけないんです。
貧困だけじゃありません。人間関係、仕事で悩んでいる人など、普段、身近で聞く事がある悩みを持っている人さえも、完全に救う事は出来ないんです。
逆に言うと、自分自身が何かに悩んでいても、完全に救ってくれるヒーローみたいな人が現れる事はないんですよ
「じゃあ、何でおまえは、貧困問題解決を目的にこんなブログを書いてるんだよ?」と、聞きたくなった人がいるかもしれませんね
理由は、簡単です。人は人を救えない。でも、手伝う事は出来るからです。
そう、手伝うという感覚を忘れないでいる事が重要なんですよ
けして、困っている人を救えるなんて思っちゃいけない。
なぜ、思っちゃいけないと感じるようになったのか?それは、僕が学生時代に、体験したある出来事が大きく影響しています。
ちょっと、語らせてください。
救えなかった友達のMちゃん
僕は映像関係の専門学校を卒業しています。
そこで、小柄で可愛らしいMちゃんという女の子と出会いました。
彼女は、明るくて、活発な女の子です。なんていうか、活発を通り超して、いつもテンションが高い女の子だったんですよ。
今、思うと、彼女はそう鬱状態だったのかもしれません。
僕とMちゃんはすぐ仲良くなり、よく映画を観に行ったり、飲みに行ったりしていました。
Mちゃんは、僕にいろいろと話してくれました。
お母さんとコミュニケーションが上手く行ってないこと、人間関係の距離感が解らなくて、人を怒らせてしまうこと、リストカットをしてしまうこと。
Mちゃんは本当にたくさんの事を話してくれたと思います。
僕は完全に仲良くなった、親友になれたと思っていました。お互いに、信頼できる関係だし、Mちゃんを救えると勝手に思っていたんです。
しかし、それは間違いでした。Mちゃんは、僕との待ち合わせに来ないようになります。
それどころか、学校に来なくなってしまうんです。メールを送っても返信がありません。今で言うと、LINEの既読スルーです。
しかし、僕はめげません。心配で心配でしかたがなかったので、時間があくたびに、メールを送ったり、電話したりして、なんとかMちゃんと連絡しようとしました。
でも、返って来たのは、一回だけ。「もう、連絡しないで!」というメールの文章だけでした。それからしばらくして、結局、Mちゃんは学校を辞めてしまったんです。
僕はMちゃんにとって、単なるウザイ奴だったわけなんですよ(笑)
この出来事は、僕に多くの学びを与えてくれました。
それは、やっぱり、人は人を救えない、という事です。
手伝うために自分が元気でいること
人は人を救えない。でも、手伝う事は出来ると言いました。
僕は今でも、Mちゃんを救う事は出来なくても、手伝う方法があったんじゃないか?と思っています。
そして、今は冷静になって、友達が悩んでいたりすると、自分にはどんな手伝いが出来るか?を考えるんです。救う方法じゃありませんよ。そんなものはありません。あくまでお手伝いです。
皆さんはどうでしょうか?
しかし、ここで必ず覚えていてほしい事があります。
それは、手伝うためには、自分自身が元気でいなければいけないという事です。
考えてみれば、当たり前ですね。自分が元気がないのに、人を手伝えるわけがない。
だから、誰かを手伝う時は、あなたがどこまでなら元気でいられるか?のボーダーラインをしっかりと理解する事が大事です。
解りやすい事を言うと、セルフマネイジメントをしっかりするという事ですね。
お互いに共依存になって、共倒れになってしまっては意味がありません。
Mちゃんは、自分から僕に攻撃してくる事はありませんでした。しかし、タイミングが合えば、僕に暴言を吐いたり、中傷して来たり、無理難題を押しつけて来たかもしれません。
そんな時は、まず冷静になる事です。
「相手の要求や言葉を全部、受け止めて、おまえは元気でいられるのか?」と、自分自身に聞いてみてください。
もし、相手の要求、言葉を全部、受け止めてしまう事で、自分の元気が奪われてしまうなら、受け止めちゃダメなんですよ。
自分を責めないでください。
Mちゃんがいなくなった時、僕は自分自身を責めました。そのため、僕がうつっぽくなってしまったんですよ。
皆さんは、そんなふうになってはダメです。無理難題を言われたら、出来ない事は出来ないと断りましょう。
「出来ないと言って、相手がヤケになってしまうのが心配だ」と、思うかもしれません。
しかし、そこで、思い出してください。
人は人を救えない。出来るのは、手伝うところまでなんです。
何も知らない周囲の人達が「冷たい」とか「無責任だ」とか言ってくるかもしれません。言わせておきましょう。
あなたがうつにならない事、元気でいる事のほうが重要です。
なぜなら、あなたが病気になってしまったら、うつになってしまったら、手伝う事すら出来なくなってしまうからなんですよ。
どうでしょうか?くれぐれも忘れないで!
共に、他者を手伝える人になろうではないか?!
相模原殺傷事件で感じた、私達がダークフォースに落ちるかもしれない危険性とその小さな対策
あまりにも悲しい事件が起きました。
平成元年以降、最大の犠牲者が出た相模原殺傷事件。
この事件の最も恐ろしい部分は、犯人の異常なまでの合理的思考です。
それも単なる合理的思考ではなく、経済的な合理性と言ったほうが正確かもしれません。
「障がい者は邪魔な存在なので、消したほうが良いと思った」と、犯人は言っていたらしい。うろ覚えですが、同じニュアンスのことを犯人は言っていたとテレビで知りました。
この思考は、事件直後、ネットで話題になったように、第二次大戦中のナチスの思考、哲学ですね、犯人もナチスの思想に共感していたようです。
実際に、当時、ナチスは障がい者を戦力外通知をするかのごとく消して行き、その思考の果てにユダヤ人の差別、虐殺にまで発展しました。
僕らの国は、これまで経済成長の名のもとに、競争し、世界で上位ランクに入る経済大国になりました。
誰かの役に立つ事が当たり前、競争で勝って行かなければいけないのは常識中の常識。
そんな生産的な存在になる事が義務づけられた現代の中で、経済的に非生産的な存在はどうやって生きていけばいいのでしょう?。
また、どうして相模原事件の犯人は、事件を起こしてしまったのか?
なぜ、犯人は「非生産的」と障がい者を判断し、その想いが差別的な殺傷事件にまでなってしまったのか?
そうです、今回のテーマは、『非生産的』というワードです。
これは、僕がずっと考えて来た『貧困』、『生活保護』の問題と直結します。
誰しも高齢者になったり、不慮の事故に合い、経済社会の中で「非生産的」な存在になる可能性があります。
一緒に考えてみましょう。
ダースベーダーはなぜダークフォースに負けたのか?
テレビであの事件の犯人が車の中でニヤリと笑う場面にゾッとした人もいるでしょう。
あの場面をテレビで観て、不謹慎と言われるかもしれませんが、僕は「あぁ~、ダークフォースに負けてしまったなぁ」と、思ってしまいました。
ダークフォースとは、映画「スターウォーズ」に出て来る闇の力の事です。
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知らない人のために、ちょっとだけ説明しましょう。
映画「スターウォーズ」のストーリーは、宇宙の戦いがベースになっています。
そのストーリーの中で大きな役割を担うのがフォースの力を操るジェダイの騎士です
もともとフォースは誰の中にもあるのですが、そのフォースの魔法と呼べる力を引き出し、コントロールできるのは、厳しい修行を受けたジェダイと言われる騎士だけです。
詳しくは、ぜひ映画史に残る名作「スターウォーズ」を観てほしいのですが、あの作品の中でダーク(闇)に落ちてしまうのがダースベーダ―なんですよ
ダースベーダーはなぜダークフォースの力に身を任せてしまったのか?
僕は2000年代に公開されたエピソード1・2・3を観て、その理由がはっきりと解りました。
その理由とは、『非生産的』なものを拒否し、すべてを操る強い力を手に入れようとしたから、というものです。
では、映画で描かれた『非生産的』なものとは何でしょうか?
一つは、『死』です。ダースベーダーは、自分の恋人の死を必要以上に恐れました。
しかし、老いること、そして『死ぬこと』は誰にも逃れる事が出来ない、人生で最も大きな『非生産的』な行為です。
ダースベーダーは恋人が死ぬことを恐れるあまり、ダークフォースを使って、恋人を死なせない力を手に入れようとしました。つまり、恋人の死をコントロールしようとしたんです。これは、ある意味、恋人を生かすも殺すも自分が判断できる力を得ようとした、と言っていいでしょう
それが、ダースベーダーがダークフォースに負けたそもそもの始まりだったんです
映画「スターウォーズ」の深い哲学は、そこにあります。
闇の力と言うものは、完璧なまでの合理性から生まれるんだ、と映画「スターウォーズ」は教えてくれていると思えてなりません。
「死」すらもコントロールしようとする事。犯罪とは、合理性、合理的なるものを過剰に求める行為なのです。
今回の事件でそれがはっきりと解ったのではないでしょうか。
僕らは自然を見つめていかなければいけない
もう少し突っ込んで、合理的なるものの逆とは何なのか?を考えてみましょう。
合理的の逆、非生産的でコントロールできなくて、めんどくさいもの、それは自然です。
老いること、病気、死。そして生まれながらに障がいを持つこと、これらはすべて誰もコントロールできない自然なこと。
自然とは、人工的に作れないこと。そんなふうに説明すると、解りやすいかもしれませんね
皆さんは、『自然』という言葉を聞いて、森、林、花、などを、すぐに想像するかもしれません。
しかし、何も森、林、花だけに限った事ではありません。人間だって、森や林、花と同じように自然なんです。
今のところ、人間を人工的に作る事は出来ない。どんな人で、どんな性格で、どんな身体を持って生まれて来るのか?は誰もコントロールできない。
そういう意味で、経済社会にとって、子供も非生産的な存在です。よく、子は授かりものと言われますが、あれは言い当て妙と言っていいでしょう。
子供は自然であるが故に、非生産的で非合理的で、コントロールできない。でも、だからこそ、愛らしくて守ってあげたくなる。僕らは、もう一度、その事を思い出せなきゃいけません。
虐待も子供に合理性を求めた親の犯罪と言えるでしょう。本来、人は、合理的なるモノとは真逆の存在なのです。
けして、第三者がコントロール出来るものじゃない。人の死は、その人の老いが決めること。
勝手に他者が終わらせちゃいけない。自然が決める事なんです。
今回のような事件を防ぐ具体的な方法はないかもしれない。しかし、今、僕らが出来る事と言えば、本来、人は合理的なるモノとは不向きな自然な存在であること、それを少しでも思い出す事ではないのでしょうか?
やるべきことは、シンプルです。
人間が作ったものではないこと、自然を見に行きましょう。触れましょう。
そして、コンロール出来ない自然的なる事柄をコントロールしようとしないこと。
なんだかジブリの映画みたいなメッセージになってしまいましたが、けっこう大事な観点だと思っています。
どうだったでしょうか?人は、本来、非生産的でめんどくさくて、合理的じゃない自然な生き物であること。
これは、もちろん、僕が言い出した事ではありません。
数年前に話題になった養老さんの本に書いてあった思想です
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今回の事件を見て、思い出したので書いてみました。
共に、自然を受け入れて生きて行こうではないか?!