負ける事よりも諦める事のほうがかっこ悪い
私は将棋を趣味にしています。
将棋とは、対戦相手よりも早く王様を取ったほうが勝ち、という日本に古くから伝わるあのゲームですね。
んで、もともと飽き性な私がなぜか将棋とブログだけは長く続いている。
「何でこんなに続いてるんだろう・・・・」と、ある時、真剣に考えてみました。
すると、解ったんです、長く続けている理由が。
負けても発見がある
将棋は勝ち負けを競うゲームなので、勝ったほうが楽しい。それは、当たり前です。
でも、負けてもつまらないわけじゃないんですよ。
なぜか?、それは、負けた時、なぜ負けたのかを発見できるからなんです。
人が負けて悔しいのは、負けた事よりもなぜ負けたのか、が解らない事なんじゃないか?、と思うんですよ。
だって、そうでしょ?、なぜ負けたのかが解っていれば、次に進む手掛かりになる。
改善点が解れば、次に将棋を指す時に、工夫する事が出来るんだから。
んで、結果、勝っても負けても、また改善点や工夫する事が出て来て、また新しいチャレンジが出来る。
この工夫して、どんどん新しいチャレンジ(別の一手、別の定跡)を試せる事が将棋の面白さなんです。
だから、飽きないし、面白さが尽きないわけなんですよ。
しかし、そんな将棋の面白さを台無しにする態度があります。
諦めたら面白くない
将棋の面白さを台無しにする態度とは何か?、それは、諦めて、考えるのを辞めてしまう態度の事です。
私の将棋の棋力(将棋の強さが解るレベル)は、4級です。
強い人達だと、段を持っていて、さすがに厳しい手を指して来るんですよ。
棋力が離れているんだから、負けるのはしょうがない。
でも、途中から負ける展開が解って来ると、はっきりと諦めて、手を緩めてしまう人がいるんですよ。
あれは、良くない。よろしくない。
これは、将棋に限った事ではありません。
どんな事も、はっきりと負けが確定するまで、投げないで、最善を尽くすべきなんです。
そうでないと、次の課題、改善点、チャレンジするポイントが解らないままになってしまう。
これは、当ブログのテーマである「脱貧困」にも関わって来る問題です。
私は、このブログに「自分と同じような立場の人達が貧困にならないためのアイディア」と「社会的に貧困を解決するためのアイディア」を書いています。
しかし、個人や社会にとっての「貧困問題」を解決する事が勝ちならば、今のところ負けているんです。
なかなか自己責任論は消えないし、非正規雇用は増えているし、格差は未だにある。
時々、嫌になるけれど、そんな時は、将棋から学んだ事を思い出す事にしています。
次の対戦を面白くするためには、諦めないで、なぜ負けたのか?、を考える。
これが大事なんです。
こんな事を考え行くと、私は思うんですよ。
負ける事よりも諦める事のほうがかっこ悪い、と。
勝ちたいというよりも諦めたくないんです。
将棋もブログも、この感覚を大切にして行きたいと思います。
共に、次の一手を指して行こうではないか?!