罪を憎んで人を憎まずって出来ると思う?
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罪を憎んで人を憎まずという言葉があります。
意味は、犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけない、ということ。
んで、ここで皆さんに質問です。
罪を憎んで人を憎まずって出来ると思いますか?
きっと、多くの人がこんなふうに答えるでしょう。
「無理、無理、無理、出来るわけないじゃん!、ムカつく奴はムカつくでしょ?」
はい、仰る通りです。正解です。
でもね、私は罪を憎んで人を憎まずに挑戦したいんです。諦めたくない。
なぜ、挑戦し、諦めたくないのか?、今回はその理由をお話しします
罪とは自分の気持ちを押しつけること
以前、こんな記事を書きました。
詳しくは、読んで頂きたいのですが、時間がない人のために、簡単に説明しておきましょう。
貧困になってしまう人は、大きな劣等感、コンプレックスを抱えている。
また、何らかの発達障害や精神的な病を持っている人達も多い。
そのため、人を支配したり、すぐ感情的になってしまうところがある。
たとえば、不安から、助けてくれようとしている人に、深夜にLINEを30通ぐらい送ってしまったりする。
めんどくさくなって既読スルーすると、「何で無視するんだぁ!」と逆ギレしたりする。
上記の記事はそういった貧困当事者が待つ毒の部分について書いた記事なんです。
ここまで、読んで、ますます「やっぱり、罪を憎んで人を憎まずって無理じゃん!、深夜にLINE30通送って来る奴なんて、無視しちゃえばいいんだよ!」と、思った人がいるでしょう。
うん、うん、確かに、よく解る。
深夜にLINE30通は、あえて言えば、空気を読まないという名の罪です。
いろいろ辛い事があって不安になってしまったにせよ、深夜にLINE30通はさすがにキツイ。辞めてほしい。
で、めんどくさくなってスルーすると、逆ギレするのは、もっと罪です。
このように、貧困当事者は、劣等感や自身が持つ障害などが影響して、自分の気持ちを押しつけるという罪を犯してしまいがちなんです。
貧困は人の心の毒を刺激する
ただ、しかし、ここで冷静に考えてみたい。
それは、何が貧困当事者を「自分の気持ちを押しつける」という罪に走らせたのか?、という問いです。
答えは一つしかありません。それは、貧困です。
貧困とは、お金がないこと、友達がいないこと、精神的に辛い状態にあること。
私は思うんです。
もし、お金に余裕があったら?、もし友達がたくさんいて、人との繋がりがあったら?、もし精神的に元気だったら?
その人は、精神的に落ちつく事が出来て、「自分の気持ちを押しつける」という罪を犯さなかったのではないか、と思うんです。
そう考えてみると、罪とは「貧困」であって、その人自身じゃない。
もう一度、罪を憎んで人を憎まずの意味を思い出してみましょう。
罪を憎んで人を憎まずとは、犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え。
この場合の事情とは、「貧困」の事なんです。
もちろん、犯罪を擁護(ようご)するつもりはありません。
しかし、再犯を防ぐ意味でも、罪を憎んで人を憎まずの精神を忘れずに、やれる事はやって行きたい。
そうでなければ、ますます貧困が広がってしまう。
私が罪を憎んで人を憎まずを諦めたくない、と言ったのは、そんな理由からだったんです。
共に、罪を憎んで人を憎ますにチャンレンジして行こうではないか?!